父と子の物語(3、路地の子)

上原善広の新刊が出たとのこと、HONZの仲野徹さんの書評(http://honz.jp/articles/-/44135)を読んで知ったのですが、個人的には、上原さんの本としては、静かでなにか温かみのある感覚を覚えました。

そして、仲野さんの「絶対にあとがきから読んではいけない本」という忠告をありがたく受取り、前から順に読んでいきました。私は結構あとがきから読んでしまうので、これは今から思えば非常にありがたがったです。

本の内容についても、仲野さんの書評を読んでいただくのがわかりやすいです。ので、ここは「父と子の物語」という観点から感じたポイントを思うままに書いてみます。

路地の子

路地の子

 

 仲野さんも書かれている通り、上原さん自身の父に対する思いというのはあとがきに書いてあります。この部分はこの本の根幹、このあとがきを書くためにこの本は書かれた、いやむしろ、このあとがきに至るために作家としてものを書いてきたのではないかというほどの内容になっています。

なので、そこには触れませんが、冒頭に書いたように上原さんの他の本に比べて、「静かで温かみがある」と感じました。書かれている上原龍造さん(著者の父)の生きざまはなかなか激しいものです。それなのに、文章から静けさを感じられるのは、なにか愛情というか照れというかが奥底にあるということなのかなと。

途中、龍造さんについて「自分勝手で他の人間を非難するが、同じことをしている自分の影響へ思い至ることはない」ということに何度か言及します。この感覚、私は非常によくわかるというか、自分の父に対して思っていたことそのままです。私自身も「ああいう人間にはならない」と思って、その当時(10代)は思っていました。

今から考えるとその後、私は父親のある部分を非常に色濃く受けついで生きていて「ああいう人間になってる」のですね。この辺の自覚は上原さんと全く同じものです。私の場合は、4年前に父が死んでから特に、この側面を強く意識するようになってます。そして自分がかくありたいと思う人間として、自分の父を想定するようになってきました。もちろんすべての面でというわけではありませんが、人に対する基本的な愛情の熱量がある、自分勝手ではあるけれど自分の原則があって曲げない、他の分野の人の言葉は素直に聞く耳を持つ、、、その辺りです。

、、、今、列挙してみて驚いたのは、上原さんがあげた龍造さんの長所とかなりダブっているんですね。私の父は団塊の世代よりほんの少し下なのですが、人となりが良く似ています。あんなに短気で暴力的ではなく、どちらかというと職人肌の頑固者ですけど。

ま、こう思うのは、私の父がすでに死んでいるからかもしれません。生きている間は、そうはいってもやはり喧嘩して、遠ざけてしまうことも多かったです。上原さんも龍造さんが亡くなると、またちょっと変わってくるのかなとも思いますね。

私自身は子供が2人いて、下の子が男の子なのですが、彼に何を伝えられるのか、若干不安なところはあります。上原さんも私もそうですが、父親が現場で働く姿を見ている。それは記憶に刻み込まれていて、自分にとっては今でも強さを感じさせる大人というとその姿なんですね。

私の子どもが見る、私の働いている姿というのは、ラップトップを膝の上において、うーんうーんと悩みながらタイプしているところでしょう。きっと働いている私を見ることはあまりないのだろうなと思います。あんまり父の背中を見せることはできないな、会議しているところを見ればちょっと違、、わないかな。

でも、彼は彼なりに何かを感じて成長していくのでしょう。私は私ができる精いっぱいをやり続けていくしかない。きっとそれでいいんだろうなと思うのです。

吉本隆明の言葉

ほぼ日には「今日のダーリン」という糸井さんの日記のようなものがトップに掲載されています。本日(6/19)の内容は、吉本隆明が子供に言った言葉がテーマになってます。それは、

「人といるとき、だれより低いものでありなさい」

というものですね。これは10代のころに私自身もどこからか聞いたことがあります。吉本ばななさんが父からの教えで心に残っているもの、というようなテーマで回答していたものだった記憶があります。当時、創刊されたばかりの「ダ・ヴィンチ」はよく読んでいたので、たぶんそれのインタビューだったような気がします。当時も今も吉本ばななさんの小説は読んでませんので、、、でも吉本隆明は知ってたんだなー。

この言葉には当時、私自身も感じるところがあったようで、何かしら人が集まって相談するときには、もっとも弱い立場の人はだれなのかを考えて発言しようと思い始めたのだと思います。今となっては、いつからそういう考え方の癖がついたのか思い出せないのですが、たぶん二十歳頃にはそうなっていた記憶があります。

ただ、この考え方は自分の目線をその場で一番弱い立場の人に合わせるということで、前提として「自分は一番弱い立場ではない」というのがある気はします。戦う人に対して心に刻んでほしい言葉ではありますが、自らが最も弱い立場になったときには、また別の度量として「素直に他人に助けを求める」ということが必要なのでしょう。

ただ、まぁ、自分がそうするかというと、、、やっぱ人間ができてないんだろうなと思うんですが、一人でなんとかしようとするはずですね。それでいいんじゃないかとも思うし、何も正しく生きる必要はなく、自分ができるやり方で生き尽くせばいいのではないかと。現在40歳の私はそう思っています。

セッターに必要なものは勇気である。

久々にNumberでバレーボール関係の前向きな記事を読みました。

number.bunshun.jp

これまでの正セッターであった深津選手(彼はこのチームのキャプテンでもあります)を差し置き、今季のワールドリーグからスタメンで出ている藤井選手を中心にした記事です。

バレーボールというのは、試合のテンポ的に野球に似ていると思います。これは日本のバレーボール人気を考えるいいきっかけだと思いますが、ボールの配球という意味で野球のキャッチャーとバレーボールのセッターはよく似てます。

かくいう私も中学自体にバレーボールをやっておりまして、ポジションはセッターでした。このポジションは他のポジションと比べると専門性が高くて、他のポジションならどこでもできる人でもセッターはなかなかできないものなのですね。これは主に技術的な側面が大きいのですが、メンタル的なところでもなかなか難しいようです。

今回の記事では、藤井選手のトスワーク、特にセンターのクイック中心に攻撃を組み立てていく部分を取り上げています。センター中心に使うことによりここにブロッカーの注意を引き寄せて、端っこからの攻撃(いわゆるウイングスパイカーのアタック)へのブロッカーの一歩目を遅らせる効果があります。ウイングスパイカーはブロック2枚ではなく、1.5枚を相手にすればよくなるわけで試合終盤までフレッシュな状態で戦えることになります。

一方で、これはセンターを軸に攻撃を組み立てるので、ある程度の確率でセンターのクイックはブロックされるわけです。Aクイックのような早くて基本的な攻撃は、ブロックされると失点に直結するものです。それを受け入れて、ブロックされてもクイック攻撃を継続するには、セッターにチームへの信頼感と勇気が必要です。

…とまぁ、ここまでは当然の至極当然のことを語ってきたわけですが、ここからは実際にセッターをやっていたものとしての偽らざる想いを吐き出したいと思います。

特にセンターを使い続ける勇気について。

中学時代の私にはこの勇気はありませんでした。これは、正直な感想です。Aクイックをあげてシャットアウトされるのが怖かったのですね。Aクイックでシャットされたら、アタッカーに責任はありません。アタッカーにブロックをよけるだけの余裕はないので、そこを選択したセッターの責任です。それはだれの目にも明らかなことなのですね。

それを自分の選択の間違いとして、絶対に失敗しない選択をすると自分に非がない、アタッカー自身である程度対応の余地があるウイングスパイカーのアタックを選択してしまうのです。しかし、それではウイングスパイカーが疲弊してしまう。結局、チーム全体としては接戦になればなるほど弱くなる。失敗しない、負けないことではなく、勝つためにチームとしてどういう戦術を取るのか、それにはどの程度失敗が許容されるのか、これらを話しておくことが必要なんですね。

シャットアウトされたとしてもそれをある程度しょうがないこととして受け入れ、切り替え、次のプレーに臨む。それには信頼関係が必要です。また、小さな失敗を受け入れながら、大きな失敗を回避するという姿勢を継続するには、勇気が必要です。

自分には勇気がない。

中学時代のプレーを振り返って、そう思えるようになったのは、数年経ってからでした。認めたくない気持ちがありました。なかなか難しかったですね。

セッターは勇気がなければ務まらない。早く正確なトスアップだけでは、チームを勝利に近づけることは到底無理です。それを思い出した、この記事でした。

彼を知り己を知れば百戦殆からず。レアル、連覇なる。

6/3夜、レアル・マドリーがCL史上初の連覇を成し遂げました。ユーべファンの私としては、後半途中から見るのがつらかったですが…、ファイナルですしマドリーも嫌いなチームではないので、最後まで見ました。

最新のfootballistaでも特集されていた通り、今、ヨーロッパサッカーを見るときには戦術に焦点があたることが多いです。ひと昔前は4-2-3-1が標準的なフォーメーションでしたが、ジョゼップ・グアルディオラによる圧倒的な戦績を背景にした戦術のトレンドがいくつも押し寄せました。フォーメーションについては試合が始まる前の配置など重要ではなく、あるポジションの選手がどの範囲をカバーするのか、ディフェンスの局面では攻めてくる相手にどうアプローチするのか、チームとして守から攻に転ずるやり方をどう定義するのか、などいろいろとテーマがあります。結果的には、今、(ある程度のトレンドを追いながらも)それぞれのチームが己の頭で考えた結果、戦術はそのチーム独自のものになってきています。

月刊フットボリスタ 2017年6月号

月刊フットボリスタ 2017年6月号

 

サッカーを見る我々にとっても、どのような戦術をとっているのか、どこに強みがあり弱みは何か、選手はフィットしているのか、などを考えるようになってきています。これはこれで面白く、私もそのような感じです。

ただ、サッカーは所詮ピッチ上でタレントを持っている選手の集団が織りなすゲームであって、組織や戦術を超えた魔法を彼らは元来持っているものです。どうしても戦術に集中してしまうとサッカーの見方が偏ってしまう、戦術は選手の強みを最大限に発揮する助けになるものであって、それ以上ではないはずですが、そのことを忘れてしまうことが最近は多い。選手が歩んできた道のり、それを背景にしたその選手のスタイル・勝負強さ・タレントを軽視してしまうのですね。選手へのリスペクトが足りないのではないかという気がします(主に自分に対して)。

今期のCL決勝はレアル・マドリーユベントスの組み合わせでした。ユベントスは相手がどんな戦術であろうと美しいフォーメーションを保ちながら守り、攻めに転じると真ん中のショートカウンター、または、最前線に選手を張った状態で相手を押し込みつつ点を取りきるチームですね。レアル・マドリーは、結構低い位置からカウンターとか、前線のスペースに走りこんで点を取る形で、ディフェンスはアンカーの選手を中心に堅い。

試合前は、監督の采配がキーになると予想し、応援するユベントスが僅差で勝つ(願望)と信じていました。試合に入ると、中盤の構成力といつも通りの攻撃ができているレアルと、自慢の守備が結構切り裂かれているユベントス(いつも以上に攻めてはいました)という構図が垣間見えて、ハマったら何点取られるかわからないな、、、と思いました(ユベントス目線)。

結果、予感はあたり、後半にユベントスは蹂躙されまして、文字通りの完敗でした。レアル・マドリーの方が戦術的に上回ったかというとそんなことはない。ユベントスの方が戦術・試合展開まで練りに練った試合の入り方だったと思います。

レアル・マドリーはそうではなかった。彼らは大まかにユベントスの特徴を把握し、自分たちのやり方を確認し、あとは選手自身の能力で試合に臨んだ。相手を深く分析し、相手に合わせて最適な戦術を取るのではなく、自分たちは最高の選手がそろっているのだから、自分たちの強みを出せればよい。それを出すために相手の特徴を把握する。後は、試合の中で選手自身が突破口を見つける。

選手自身のタレントを信頼して、そこを突破口にする。そのために相手を調べる。これは表題の通り「彼を知り己を知れば百戦殆からず」そのものです。戦術をもった監督を連れてきて、その戦術に合う(割安な)選手を連れてきて成績をあげる、というのはリーズナブルでいい方針です。ただし、それでは継続的な覇権を握ることはできないのではないか。

レアル・マドリーがヨーロッパの覇権を握り続けてきたのは、まず第一に最高の選手をそろえる、という根本の方針が新たに出てくる戦術を凌駕し続けたということなのではないか。

そんなことを考えながら、表彰式を呆然と見ていました。

「終わりの始まり」という状況は、周囲からはハッキリ見える。

「終わりの始まり」というキーフレーズは、物語の中ではよくぶち当たるものです。バランスと秩序を保っていた状況が崩壊していく暗示としてよく用いられます。もしくは、順調に育ってきたものがその成熟段階を終えて、収束に向かうときとかですねー。

40年も生きてくると、社会人としていろいろな組織に(私は結構会社変わってるので)属してきまして、そういう感慨を抱くこともありました。まぁ、あんまり良い状況ではないですね。ただし、崩壊することで新しく生まれ変わることができるわけでもあり、これはやはり希望なんですね。

ということを最初に書いておきつつ、そんな「終わりの始まり」の景色というのは当事者にはあんまり見えないものなんだなということを書いてみます。ちなみに、今回は読書は関係なく、私が昔在籍していた大学の研究室の話です。読書日記なのに。。。

私はもともとは工学部のとある学科を卒業したのですが、ちょっと違う方面(ある種の歴史とか哲学)の大学院へ進学しまして、修士課程を修了した後、就職して働き始めました。大学院の専攻は特に学部の専攻とも違うし、現在の職種(システムエンジニア)とも関係ありません。ちょっとマイナーな学問ではありました。講座には研究室(教授 or 准教授1人が1つの研究室をもつ)が5つあり、院生は総計で15~16人くらいでした。院生は全員1つの院生室にいて、ほとんど同じ授業に出て、ゼミは個別の研究室でやっていた感じです。

当時は、2年連続で4人が入ってきたこともあり(私含め)、人が多くなってきて盛り上がってきた感じでした。ただし、他分野出身の学生ばかりで研究への姿勢含めバラバラな人たちの集まりで、ひどく雑多な印象がありました。私はそういう雰囲気がすごく好きだったのですが。。。既にある程度の研究実績があり、本格的に研究をしようとしている人にとっては、ハイレベルの会話が院生室でできないというのはストレスだったのだろうと思います。

それから10年弱経ってから、研究室内の定期報のようなものを読ませてもらったのですが、そこには以下のようにありました。「数年前と比較して、最近の院生には各個人のレベルが上がっている、授業への出席率が高い、院生室の滞在率が高い。院生室での議論も専門性が高まり結果的に質の高い議論ができる環境になってきた」という内容でした。

私自身がそのようなポジティブな貢献ができる院生ではなかったので申し訳なかったなと思いつつ、純粋にうらやましいなという感覚も覚えました。まぁ私自身は、もっと雑多で専門性が多少低くてもいろんなバックグラウンドの人がいたほうが過ごしやすいと感じていたので、私にはつらくなってきたなと思ったことも記憶しています。

ただ、「これは終わりの始まりだな」というのも思いました。マイナーな学問であったこと、ほとんどの学生は大学院からこの学問を本格的に始めることを考えれば、院生室の各個人がこの学問に十分馴染んでレベルが高くなっていて、質の高い議論ができる快適な空間になっている、というのは人が入ってこなくなったことが背景としてあり、他分野から入る際のハードルも高くなっていると考えられます。

「こんなに活発に活動している、レベルの高い議論をしている我々の研究室に参加しませんか?」というのが響くのは、その分野自体が盛り上がっているときであって、ただそういうタイミングは何もしなくても人は集まるんですよね。テーマとして人が集まらなくなった場合に、さてどう誘うかというのはやはり入りやすさの仕組みを充実させるのが王道です。

今は、そもそも常勤スタッフが減ったこともあり、学生はかなり少なくなっています。上記のメモの時期はすでに入ってくる学生が減ってきていたように記憶してます(曖昧)が、それ以降、在籍学生自体は徐々に減ってきたんじゃないかと。

中にいる学生や教官は特に危機感は抱いていなかったと思うのですが、外から傍観者として見ると、やはり「終わり」は始まっていたのだと感じます。自戒を込めて、やはり外部の人(それが当該ドメインに何の知見もない一般の人であっても)に見てもらうのはとても、とても重要なのだと思います。

ただ、冒頭に書いたように、「終わりはまた別の物語の始まり」なので今後新しい人によって、新たな組織運営がなされることを期待しています。私はもうアカデミズムから離れてしまったので、ときどきキャンパスに散歩に行くぐらいしかできませんが。。。

仕事を変えるときに、誰に相談するか。

おはようございます。システムメンテナンスのため、家に帰れず会社でダラダラしてました。無事に終わって安堵しています。

そんな状況だからではないですが、何することもない時間にこれまでの転職のことを考えておりました。私自身は数回会社を変わっていますが、一貫して情報システムに関わる職についています。ただ、役割とか立場、どういうシチュエーション(大規模構築プロジェクトか、既存の運用保守メインか、恒常的な新規開発の連続か、とか)で働くのかについてはいろいろと変えてきています。

簡単に言うと、職種はちょっとずつ変わっているわけですが、そんな小さな変更でもやはり慣性というのは恐ろしいもので、変更を妨げる方向へ働くのですね。特にプライベートでの近しい人や同僚についてはそのような傾向が強いです。自分自身で変化を求めたいと思うとき、適切な相談相手というのは意外と難しいのが私の経験則です。

それほど親しくはないんだけど、自分のスキル・実力はある程度わかっていて、尚且つ他人事として私に向き合って客観的で予想外な可能性をポロっとこぼしてくれる人、というのが理想の相談相手になります。

この辺りの考えを最初に私に提示してくれたのが、「ハーバード流 キャリアチェンジ術」という書籍です。

ハーバード流 キャリアチェンジ術

ハーバード流 キャリアチェンジ術

 

 ちょっとタイトルが仰々しいというか、いたずらに流行りを追っている感じがしますが、中身は文句なしに素晴らしい書籍です。それまでとは異なる職へキャリアチェンジした数十名の事例から成功するための条件を抽出しているのですが、「自分が何をやりたいか考えてキャリア計画を考えてから行動するという従来の考え方では成功は難しい。必要なのは、計画や考えることよりも、行動を重視するアプローチ」という考えが提示されます。

またAmazonの商品説明にもあるように「過去と現在のアイデンティティーの板挟みに悩む「過渡期」を支えるのは、古くからの友人や前職の仲間ではない。今までのキャリアから乗り換えるにあたり、「強いきずなは視界を奪う」」という主張はまさにその通りですね。本書の事例からは、「新しく出会ったばかりの、弱くてもろい関係性にある友人」こそがこの期間のキーパーソンであることがわかります。

田舎から都会に出てきている人にとっては(私もそうですが)、地元の親や親戚もこれにあたるはずなのですが、「大きな企業に入って定年まで勤め上げるべき」的な観念の人も(特に今の60歳以上には)多い考え方なので、難しいのでしょう。幸い、私の両親は自営だったし、「没頭できる仕事に移ればいいんじゃない」的な感じだったので、そんなことは言われませんでしたが…。

何回か転職活動をしてきて感じるのは、何回か面接を重ねてみないと自分の市場価値、それを踏まえたできることとやりたいことは明確にならない、ということです。合格と不合格がある試験ではなく、個々の企業との対話を通して今の市場を把握し、自分をどこに置いて価値を出すかのすり合わせですよね。大きく言っちゃうと、市場とのすり合わせというのが転職活動の本質だと思います。

だから面白いと思うし、定期的にやってしまうのかもしれないですね。なので、個人的には、転職したことない人、転職していても友人の引きで厳しい活動を経ずに移ってしまう人については、まだ「大人」になっていない人という印象ですね(もちろん自分で会社を立ち上げる人は、これよりも厳しい経験をしているので当然「大人」です)。

自分という商品単体で社会とコミュニケーションして、ある企業に買ってもらうというのは素晴らしい経験です。これは一度はやっておいた方が良いと思います。

 

時々読み返したくなる本

というわけで、保坂和志カンバセイション・ピース」です。

 保坂和志の小説というのは、まぁ、小説という以外ないのですが、日常のいろいろと散らばりがちな思考の流れを書き連ねられていて、ある時点からある時点までを切り取るとその流れが実は物語になっていたり(いなかったり)するようなものだと思います。これを小説というのか、いやこれこそが小説であって原初の小説はこのような形態から始まったはず、つまり由緒正しい小説であるという気もするのですね。

そういう側面をとらえると、全然違う小説ではあるものの町田康の小説とも同じようなスタイルであるとも思います。まぁ、だからどうしたって感じですね~。

さて、この小説の内容ですが、完全に忘れておりまして、何が書かれてたっけな?主人公と奥さんが世田谷の古い家に住んでて、猫とか家とか人とかの記憶とかそれ以外について語っている感じだったと思います。いや、それは「季節の記憶」か?

季節の記憶 (中公文庫)

季節の記憶 (中公文庫)

 

 でも、だいたいそんな感じだったと思いますね。

保坂和志の小説には必ず猫が出てきて、猫がいる生活を懐かしむというのはあります。実家(九州の田舎の方)に住んでいたころは、家に猫がいて、その猫を通じた家族のやりとりというのがあって、必然的に家族の記憶にまで思いを馳せるということになる。そういうものを結局は、定期的に求めてしまうものなのかと。

これ、一般的ではないのでしょうが、私自身はそういう感覚があります。

内容もあまり覚えていない、特に物語があるわけではない、でもそこに記憶と思考が詰まっていてときどき読み返したくなる、そういう小説ですね。

昔、私自身も「今、この瞬間に考えている子の思考を何かにのこしておきたい」と思ってメモとかいろいろ取ってたりした時期がありました(いや、嘘つきました、今でもそうです)。ただ、これはなかなかうまくいかないです。技術も必要だし、思考をすぐに忘れずに記録する思考的体力が要求されます。これはやり切れないのですよね。

保坂和志の場合は、何度も何度も同じことを考えることができる、だから書く段になって考えてそれを記録していくことができるのかなと。思考的な体力がすごくあるのだと思っています。

また読みたくなってきたなぁ。