納得する言説とはなんなのか

最近見かけたツイートに深く納得するものがありました。

これに深く納得してしまう時点で、ああ、俺って今なんかモヤってるんだなぁ、と思いますが、それはそれとしてこの納得感は私の(不幸なw)境遇だけから来ているわけはない。これはなんなのだろうと考えてしまいました。

 

普遍的な何かを自分が感じているのか、でもそれって自分にとっての普遍性であって、普遍性ってもっとユニバーサルな世界でも通じるような力(力ではないか…真珠の輝きのような、タレントというか)なのではなかろうか、とも思うわけです。つまり、私の納得感というのは、私自身の人生に根ざした私だけの器を充足させるようなもの、という気がしてならんわけです。

 

とすると、結局「私」の話になってしまうのですが、私が当初考えていたほど「私」というのは狭くない、もっと広いものなのかもしれない。少なくとも境遇ではなく、人生全般の経験をベースに納得感を探らなければならない、ただしそれは世間の一般論ではなくて、しょせん自分だけの世界。ただそれが、実はすごく広いんじゃないか、という話です。

 

さて、私の納得感を考えると、キーとなる考え方は「その「場」でもっとも弱い立場の人間であったとして、自分がどう感じるか」というものです。私自身は、常にその見方を手放さないようにしています。

そのポイントからいうと、上記ツイートは(一般的には)弱い立場にフォーカスを当てた俯瞰であって、まずもってその時点で観点としての納得感はあります。そしてその内容については、よく見る光景を見事に表現している、という一点について100パー同意、くらいの納得感があります。

 

他の言説を見ていて、観点は違和感ないが意見が違うという場合と、そもそもなぜこんな見方をするのかという場合は確かにあり、上記ポイントからもそれは考えられるわけですね。

あと、これ以外にも「読む価値ない」「ゴミ」「こんなレイシストは◯◯」とかもあるわけですが、それはさておき。

主に納得感は何を重要視した簡単なのか、その意見の内容、というところから醸成されているところはある、と思います。それ以外にもあるとは思うものの、別のサンプルを用いた分析が必要かなと思います。

 

今回の話で何を言いたかったのか…、一応暫定的な結論は出ましたが、多分途中の自分とはみたいなところが関係ないけど一番書いておきたかったことな気がしますね。

勇気と覚悟、リーダーによる書

酒井穣さんの本はよく読みます。

勝手に、人生の先輩というか、師匠というか、ヒーローというか、この時代を照らして生きる方向を指し示してくれる存在として、尊敬しています。

会ったこともない、本を読んだことしかないはずなのですが、その本で語っている誠実さ、勇気と覚悟に毎度心を打たれているのです。

なんちゅうか、ロールモデルと言ってしまうと畏れ多いというか…、まぁそんな感じで仰ぎ見ている方です。

 

その酒井さんが新刊を出されまして、タイトルは「自己啓発をやめて哲学をはじめよう」というものです。

 

自己啓発をやめて哲学をはじめよう

自己啓発をやめて哲学をはじめよう

 

 

一気読みでした。

 

今回も誠実で、勇気と覚悟を強く感じさせる本でした。これはもう本を読んでいただければと思います。

それにしても何が酒井さんの本をこれほど魅力あるものにしているのか、それが自分には不思議ではあります。

 

でも、心の中ではなんとなく理由はわかっていて、それを言葉にするのはその気持ちに相応しくない、という感じはあるのです。

なにか物事に耽る時に散歩する道、聴いてしまう音楽、思い出す景色、そういうものを語ることに躊躇いを覚えるのと同じような感じなのかもしれないですね。

 

ともあれ、この素晴らしい本についてはたくさんの人に読んでいただきたい、と願っております。

サイクルの終焉

レアル・ マドリーがノックアウトステージ1回戦でアヤックスに惨敗…、 そうですね、まさに惨敗しました。 いろいろな分析がされていますし、 バルサスタイルの源流ともいうべきアヤックスによって連覇を止め られたことに歴史的な意味を見出す俯瞰的な論考もありました。
とはいえ目の前で起こったことを見たときに感じるのは、 ひとつひとつの局面ではそれほど大きく劣っていたわけではないのに、少しずつ一歩足りないという状況が重なり、スコア上の大敗がもたらされたという事実が示す「サイクルの終焉」の残酷さです。 残酷なまでにはっきりと数字に出てしまう( ときには目に見えている実情よりもはるかにはっきりと) フットボールというのは、 ある種の人間には感知しえない世界の真実を映し出すものなのかも しれないなぁと思ったりもします。
戦術的なことはまた戸田和幸氏による解説がメディアに出てくるはずですが…、 パッと見た感じで言うと決定的な局面が攻守ともによく発生していたので、ここ3年ほど盤石であったレアル・ マドリーの中盤がその力を活かせるような戦術になっていないのだろうなと、単純に思いました。 3人で構成されるマドリーの中盤に対して、 アヤックスの前か横かの選手が入ってきて数的優位を作り攻撃のチャンスを作っていたのかなぁという感じです。 通常のマドリーだと、セルヒオ・ラモスは前にも横にも広くポジションとるのでそういうアクションでバランスをとっていたはずですが、 彼がいなかったのは大きかったと思います( ドキュメンタリーの撮影していたという噂ですが)。
ともあれ、 結果が示しているのは戦術云々ではなく現メンバではヨーロッパの王座をとることはできなくなった、組織として衰えてしまった、 ということです。その面から言うと、クリスティアーノロナウドジダンがいなくなったというのは、 非常に大きかったんだなと、後知恵では感じてしまいます。
特にロナウドは「自分の重要性をマドリーはわかっていない」 と話していたようですが、 これは非常にダイレクトに事実を語っていたと言えるでしょう。 すなわちナルシシズムから意見を表明していただけではなく、「 ゴールを決めることができる選手の重要性を、 クラブは本当の意味でわかっていない」 という意見表明だったわけです。 自分自身がそういうスコアリングマシーンになることで、 他メンバにそこまでのプロセスを精度高く遂行することを求めた。 それを継続するためには彼自身がマシーンとしての精度・ エネルギーを落とさずに走りきる必要があり、 そのことは傍で見ている人に理解できないほど大変なのだ、 ということなんですね。
このあたりのロナウドのプロフェッショナリズムが私はすごく好きなんですが、それはエゴと隣り合わせであるし、 あるときはエゴそのものになってしまうこともあると思います。 そういう選手のエゴが激しくぶつかり合って場の緊張感を高めパワーを放出していくのがマドリーのやり方で、 その方向性を正しい方向に向けられるのがジダンだったと思うのですが…。そもそも場のパワー自体が減退したのではないか、 そして(ソラーリでは) 正しい方向に向けることもままならなかったのではないかという気 がしてなりません。
今後は新しい監督・ 新しい選手のチームになっていくのでしょうが、核となる選手( ある種のエゴをもちつつ、 他の選手を巻き込んでチームを進める熱量をもった選手) が誰になるのか、 その集団がどういうスタイルでヨーロッパの覇権を取り戻すのか( 取り戻すことに疑いはありません)を見ていきたいなと思います。


同様にサイクルの終焉を迎えているのは、 バルセロナだと思いますが、 こちらははっきりとその事実が見えてない状況(兆候はいくらでもありますが)です。ただ、これも世界最高の選手がいる間はその得点力に隠れて見えないけれ ども、彼がいなくなったタイミングでは、 もう手の施しようがないほどになっている気がします。 次のメッシなんてどこにもいないわけで、 バルセロナはその哲学に基づいたスタイルに早く回帰しなければいけないわけですが、まだその機運は見えない。 リーガを失わなければ、 それをなすことは難しいのかもしれないですね。


人間というのはやはり変わることを恐れるものです。 バルセロナというクラブは、変えてはいけないものをわかっている分だけライバルよりも有利なはずですが、それでも今手の中にあるもの、自らの強みに見えてしまっているであろう理念には背く今のスタイルを手放すことができない。


勇気が試されている、そういう事でしょうか。

神よ。

そんなわけで約束どおり(?)キンシオについて

キンシオという神奈川ローカルの番組があります。
キン・ シオタニ氏が関東近辺の土地をいろいろなお題に沿って歩く、 という番組です。
これが月曜夜の23時からテレビ神奈川で放送されてまして、 ここ最近では毎週欠かさず見ている唯一のTV番組です。 放送されている時間帯が良い( 一人でリラックスして見ることができる)こと、 歩く場所がかなり都市郊外(田舎)である、 歴史蘊蓄がいろいろと織り交ぜられている、 音楽が良いなどがあるでしょうか。
この番組で放送した企画で最初にDVD化されたのは、 国道16号を行くものですが、NHKの「72時間」 にもありますが結構長い記録になっています。 それにキンシオでは、 その土地の人とかではなくダイレクトにその土地を知る・ 感じるというところが大きな特徴で、 その面でもNHKの72時間とはだいぶ趣を異にするものなのかも しれません。(つーのは、私はまだ見てないから…すみません)
あとは音楽ですかねー。田舎の風景の中を歩いて、 その回の放送を終わらせる場所を探してそこに到達する一連の流れ (番組終盤)には、BeatlesのLet it beがだいたい流れているのですが、 これがすごく侘しくも懐かしい気持ちにさせてくれるのです。 小学生だった自分が友達と遊んでいるところで、 だんだんと夕方になりそろそろ家に帰らなければいけない、 そのときの気持ちを非常にくっきりと思い出して浸ってしまいます 。
書いていて気づきましたが、 こういう子供のころの気持ちに浸るというのが、 自分にとって毎週見てしまう理由なのでしょう。見た翌日( 火曜日)は、「昨日は楽しかった、 最後は帰りたくないような帰りたいような侘しい気持ちになった。 今日も頑張って遊んでみよう」という気持ちになって、 週に一度の安堵があるのだなぁと思い知った所存です。
関東圏であれば見ることができるようですので、 皆さんも一度視聴いただけると子どものころの気持ちを味わえるか もしれませんよー。

 

un poco footとfootballista

ほぼ半年ぶりのエントリとなってしまいました。
皆さん(て誰だ?)いかがお過ごしでしょうか。

この半年間、私自身もいろいろとありまして、なかなかブログ書けずじまいでした。
ちょっと妻の体調が悪くなってしまったり、それを受けて仕事をどうしようかと考えたり。
退職エントリは書きませんが、会社を移ることにしました。

しかし!まぁ読書はしようね、ということでこのブログはよりドライブかけて進めていかねばと思って、とりあえず手を動かしてみました。
で、最近読んだ本何かな、と思い返してみても、定期購読している「数学セミナー」と毎月買ってしまう「footballista」しかないのですね。


この半年、まともに本読んでないのかと。
読んではいたのですが、転職活動してたので、なんかそれに関係してるものとか読んでたので、まぁそこを外すと上記くらいなのです。
で転職活動やら退職のいろいろが終わって、ふっと一息つけている今日この頃、私がとても落ち着くのが表題の番組視聴とfootballistaであると、そういうわけです。

月刊フットボリスタ 2019年3月号

月刊フットボリスタ 2019年3月号

 

footballistaについてはこれまでも何度か書いてきましたが、とても面白いです。経営学の書籍よりも、組織運営の現場に役立つ観点や示唆を与えてくれる稀有な雑誌です。
特に今月出た66号は「「総力戦」となった現代サッカー」というテーマで、フロントから現場までが同じ方向を向いた判断基準をもっていないと成功できない、ということが前面に押し出していました。巻頭に林さんという奈良クラブGMのインタビューがあり、忌憚ない意見を語られていました。腑に落ちる感じがすごくありましたねー。


ちなみに私はユーべファンなのですが、ユーべについてはサッカーのプレーモデルとフロントの経営方針は切り離して考える方針で、ユベントスというブランド価値をあげていくためにチームを強くすることが必要であって、どのように強くするかはフロントの方針はないというものです。いい選手を連れてきて、チームを強くして、一方でブランド戦略をサッカーとは別に立案して推進するという方針です。これはレアル・マドリーも同じだという話です。良い悪いの話ではなく、そういう方針だということですね。

そんなわけで興味深く読みました。やっぱりスペインの2強は経営面でも世界で飛びぬけているわけなんですね。

でスペインの話題となれば、JSPORTSで制作されているウンポコです。


Un Poco Foot!2018 8/21配信(ナチュラルウーマン 編)

なぜかすげー昔のやつしかサジェストに出てこなかったのでこれで。

JSPORTSの菅原さん(プロデューサー)がやっている番組で、Leo the footballさんと2人で話すというのが定型です。ときどき小澤一郎さんが出演されています。

んで、まぁこれが面白い。ほぼ同世代である菅原さんの話は懐かしい話がドストライクである、ということもあるのですが話される内容と話し方が心地よいですね。2018年の夏(つまりサッカーのオフシーズン)に、菅原さんが一人で合計9回放送されたオフシーズンのウンポコは疲れたときにゆっくりしながら視聴するのにもう最適で、同じ回を何度もみてしまっております。

仕事場としてのJSPORTSの楽しそうな雰囲気(若干、菅原さんのジャイアニズムが散見されることはありますが、それも含めて)がよく伝わってくる、というのがその秘密なのかもしれない…と今これを書きながら気づきました。

JSPORTSのFootは、平日にやっている番組ですが火曜はスペインサッカー情報の日で、菅原さんとLeoさんはここのレギュラーなのですね。で、その収録の後に、youtubeで配信するウンポコを収録している、ということらしいです。

だいたい、家族が床についてから夜に風呂入って寝るまでの間に視聴しているのですが、この時間が一週間のうちで一番リラックスしてます。

二番目は月曜夜にtvkでキンシオ見てるときだなぁ。それはそれで、そのうち書きます。ローカル局でのバラエティ番組としてはめちゃくちゃスマートだなー、さすが横浜、、と思ったりしてます。そういうのは九州では鉄板の「ドォーモ」のようなイメージが強いので、キンシオは衝撃的だったなぁ。

まぁそれはまた別の話で。

風土によってメソッドは変えるべきである。

ずいぶんと長く書かなかったのですが、あまりこれという本がなかったのと会社を変わっていろいろと中の観察が楽しくて書けてませんでした。。。今回は久々に「おおっ!」と声に出してしまうような学びと感動があり、ブログでも書いてみようかと思い立った次第です。

その本がコレ。

日本人という鬱病

日本人という鬱病

 

 若干古い本ですが、結論に至る思考過程が丁寧に書かれていて、知的エンタテインメントともいうべき楽しみがありました。もともとは学術論文であったものを、一般向けに書き直したという経緯もあり結論までの導出過程が丁寧です。

↓の本はほぼ同じテーマのものをさらに新書版で書いたもの(前掲書からさらに思考をすすめたものもありますが大半は同じです)ですが、前掲書をサマライズして結論への説明が簡略化されていることもあり、わかりにくいというか興奮が得られない部分があります。新書といえど結論に至るまでの興奮がなくなってしまうのは大きな損失で、これは巷にある新書の大きな問題点でもありますね。 

うつを生きる (ちくま新書)

うつを生きる (ちくま新書)

 

 さて「日本人という鬱病」についてですが、内容としてはうつ病のなかで日本人に多い「メランコリー親和型」というタイプについて考察したものです。特にこのタイプが日本人に多い、というところからさらに極端な仮説をとり「日本人一般(こそ)がこのタイプの資質を持っている」というところから、日本人の特質とこのタイプの症状を読み解きながら日本人とは根本的にどういう考え方・感じ方の特徴をもっているかを考察します。

その詳しいところ、結論については本書に譲りますが、結論としてはラディカルでありながら非常に納得のいくものでもあります。そして、私の属するIT業界でよく取り込まれる新たなプラクティスなどについても、この風土の違いを考慮しなければまずうまくいかないはず、という痛い事実を突きつけられました(私は個人的に)。

本当に結論部分だけのところを言うと、日本に多いメランコリー親和型うつ病の性質として「人とのやりとりはすべて「貸し借り」として処理しようとする」傾向が非常に強い、ということが言われています。そしてそれらの性質を細かく見ていくと、常識的な日本人的規範(武士道にも近い)にいきつくわけです。

そして、このような傾向を国民性として文化的に持つ国(メランコリー親和型うつ病が問題になっている国)は、今のところ日本がダントツということでした。ということは諸外国、特に著者が留学したドイツを含むヨーロッパ圏においては全く異なるということなのですね。おそらく米国(IT系の新しいプラクティスはかの国から来ることが非常に多い)もヨーロッパ圏と同じなんじゃないでしょうか。ということは新しいプラクティスが、その本来の効力を発揮するには、少しずつプラクティスを変えて導入する必要がある、ということです。そのあたりに繊細にアンテナを張っておかなければ、我々はスクラムだなんだと言ってますがうまい効果は発揮できないのだろうなと。

これはアジャイル系だけではなく、通常のマネジメント理論についてもまったく同じことが言えるわけです。そのようなことを考えてやってきたのだろうか、これまではとにかく新しいメソッドを導入して、日本に何とかして導入しようとして、少ししかうまくいっていないのではないか。

アメリカが日本の数々のメソッドの本質を学び取って、経営学に落とし込んでいった過程でそのような風土の違いを織り込んで自らに導入できる形にトランスフォーメーションした際の知恵ともいうべきところがあれば、その逆をやればいいわけなのですが、そのような文化的な相違点とそれをどのように自国へ取り込むことに活かしたのか、そういう本ってないかな…と考えたりしました。

ともかく、この本は非常に面白く、学ぶところが大きい。

グローバルプロジェクトでこの辺りの本の鋭さに反応できないマネージャーがいたら、すぐにクビだな、、とか考えたりもしました。

なんか久々にこういう風土みたいなものへの興味が復活してきたな。。。これはやはり和辻の「風土」に行くべきですかね。

風土―人間学的考察 (岩波文庫)

風土―人間学的考察 (岩波文庫)

 

 

警官の掟

 佐々木譲の新刊文庫「警官の掟」を通勤中に読んでいたのですが、後半からラストまでは家族が寝たあとに家で読んでしまいました。そして、読み終わったあとは大きな虚脱感に襲われる、そして少し時間を空けて再読するでしょう。

警官の掟 (新潮文庫)

警官の掟 (新潮文庫)

 

 著者は警察小説では様々な著作がありますが、なかでも「警官の血」は類まれなる傑作です。

 特に、父と息子の関係、息子が父に対する想いを抱きながら、業というか血というか、抗えないものとともに生きていく物語は、荘厳でさえあると感じました。

警官の血〈上〉 (新潮文庫)

警官の血〈上〉 (新潮文庫)

 
警官の血〈下〉 (新潮文庫)

警官の血〈下〉 (新潮文庫)

 

 で、「警官の掟」ですが、小説の構成からいうと2組の捜査が順番に語られて最後に交わる、という形になっています。この構成も物語の雰囲気とマッチしていて、その他いろいろな対比としても有効に働いていると思います。

また、著者の小説の中でも、捜査のディテールが非常に書き込まれているところがあり、東京の地形や風土みたいなものに興味ある方にはストライクではないかと。私自身、警察小説ということと同等くらいの興味でそちらの内容も楽しめました。著者はその土地の地形・風土などもさまざま書き込んでいます。

今回の舞台は、品川〜蒲田〜川崎という産業道路沿いを舞台にしていて、そういうところの雰囲気が気になっている人(少数派か・・・)には大きな魅力です。ま、以下のようなサイトが気になっている人のことですね。

portal.nifty.com

この小説のラストの迫力、セリフの重さは圧倒的で、ぜひ最後まで読んでいただきたいわけですが、ハマって読むと私のようにちょい虚脱感に襲われて数日仕事が手につかない状態になるかもしれませんが(私がナイーブすぎるのか)、それもよいのではないかと思います。

 

一言でいうと、やはり圧倒的な小説だなと。人生に必要な教養って、こんなものじゃないかな、と遠くを見ながら感じたりしました。