時々読み返したくなる本

というわけで、保坂和志カンバセイション・ピース」です。

 保坂和志の小説というのは、まぁ、小説という以外ないのですが、日常のいろいろと散らばりがちな思考の流れを書き連ねられていて、ある時点からある時点までを切り取るとその流れが実は物語になっていたり(いなかったり)するようなものだと思います。これを小説というのか、いやこれこそが小説であって原初の小説はこのような形態から始まったはず、つまり由緒正しい小説であるという気もするのですね。

そういう側面をとらえると、全然違う小説ではあるものの町田康の小説とも同じようなスタイルであるとも思います。まぁ、だからどうしたって感じですね~。

さて、この小説の内容ですが、完全に忘れておりまして、何が書かれてたっけな?主人公と奥さんが世田谷の古い家に住んでて、猫とか家とか人とかの記憶とかそれ以外について語っている感じだったと思います。いや、それは「季節の記憶」か?

季節の記憶 (中公文庫)

季節の記憶 (中公文庫)

 

 でも、だいたいそんな感じだったと思いますね。

保坂和志の小説には必ず猫が出てきて、猫がいる生活を懐かしむというのはあります。実家(九州の田舎の方)に住んでいたころは、家に猫がいて、その猫を通じた家族のやりとりというのがあって、必然的に家族の記憶にまで思いを馳せるということになる。そういうものを結局は、定期的に求めてしまうものなのかと。

これ、一般的ではないのでしょうが、私自身はそういう感覚があります。

内容もあまり覚えていない、特に物語があるわけではない、でもそこに記憶と思考が詰まっていてときどき読み返したくなる、そういう小説ですね。

昔、私自身も「今、この瞬間に考えている子の思考を何かにのこしておきたい」と思ってメモとかいろいろ取ってたりした時期がありました(いや、嘘つきました、今でもそうです)。ただ、これはなかなかうまくいかないです。技術も必要だし、思考をすぐに忘れずに記録する思考的体力が要求されます。これはやり切れないのですよね。

保坂和志の場合は、何度も何度も同じことを考えることができる、だから書く段になって考えてそれを記録していくことができるのかなと。思考的な体力がすごくあるのだと思っています。

また読みたくなってきたなぁ。