風土によってメソッドは変えるべきである。

ずいぶんと長く書かなかったのですが、あまりこれという本がなかったのと会社を変わっていろいろと中の観察が楽しくて書けてませんでした。。。今回は久々に「おおっ!」と声に出してしまうような学びと感動があり、ブログでも書いてみようかと思い立った次第です。

その本がコレ。

日本人という鬱病

日本人という鬱病

 

 若干古い本ですが、結論に至る思考過程が丁寧に書かれていて、知的エンタテインメントともいうべき楽しみがありました。もともとは学術論文であったものを、一般向けに書き直したという経緯もあり結論までの導出過程が丁寧です。

↓の本はほぼ同じテーマのものをさらに新書版で書いたもの(前掲書からさらに思考をすすめたものもありますが大半は同じです)ですが、前掲書をサマライズして結論への説明が簡略化されていることもあり、わかりにくいというか興奮が得られない部分があります。新書といえど結論に至るまでの興奮がなくなってしまうのは大きな損失で、これは巷にある新書の大きな問題点でもありますね。 

うつを生きる (ちくま新書)

うつを生きる (ちくま新書)

 

 さて「日本人という鬱病」についてですが、内容としてはうつ病のなかで日本人に多い「メランコリー親和型」というタイプについて考察したものです。特にこのタイプが日本人に多い、というところからさらに極端な仮説をとり「日本人一般(こそ)がこのタイプの資質を持っている」というところから、日本人の特質とこのタイプの症状を読み解きながら日本人とは根本的にどういう考え方・感じ方の特徴をもっているかを考察します。

その詳しいところ、結論については本書に譲りますが、結論としてはラディカルでありながら非常に納得のいくものでもあります。そして、私の属するIT業界でよく取り込まれる新たなプラクティスなどについても、この風土の違いを考慮しなければまずうまくいかないはず、という痛い事実を突きつけられました(私は個人的に)。

本当に結論部分だけのところを言うと、日本に多いメランコリー親和型うつ病の性質として「人とのやりとりはすべて「貸し借り」として処理しようとする」傾向が非常に強い、ということが言われています。そしてそれらの性質を細かく見ていくと、常識的な日本人的規範(武士道にも近い)にいきつくわけです。

そして、このような傾向を国民性として文化的に持つ国(メランコリー親和型うつ病が問題になっている国)は、今のところ日本がダントツということでした。ということは諸外国、特に著者が留学したドイツを含むヨーロッパ圏においては全く異なるということなのですね。おそらく米国(IT系の新しいプラクティスはかの国から来ることが非常に多い)もヨーロッパ圏と同じなんじゃないでしょうか。ということは新しいプラクティスが、その本来の効力を発揮するには、少しずつプラクティスを変えて導入する必要がある、ということです。そのあたりに繊細にアンテナを張っておかなければ、我々はスクラムだなんだと言ってますがうまい効果は発揮できないのだろうなと。

これはアジャイル系だけではなく、通常のマネジメント理論についてもまったく同じことが言えるわけです。そのようなことを考えてやってきたのだろうか、これまではとにかく新しいメソッドを導入して、日本に何とかして導入しようとして、少ししかうまくいっていないのではないか。

アメリカが日本の数々のメソッドの本質を学び取って、経営学に落とし込んでいった過程でそのような風土の違いを織り込んで自らに導入できる形にトランスフォーメーションした際の知恵ともいうべきところがあれば、その逆をやればいいわけなのですが、そのような文化的な相違点とそれをどのように自国へ取り込むことに活かしたのか、そういう本ってないかな…と考えたりしました。

ともかく、この本は非常に面白く、学ぶところが大きい。

グローバルプロジェクトでこの辺りの本の鋭さに反応できないマネージャーがいたら、すぐにクビだな、、とか考えたりもしました。

なんか久々にこういう風土みたいなものへの興味が復活してきたな。。。これはやはり和辻の「風土」に行くべきですかね。

風土―人間学的考察 (岩波文庫)

風土―人間学的考察 (岩波文庫)