フォルクスワーゲンの闇、あるいはフェルディナント・ピエヒについて

フォルクスワーゲンの闇、通勤電車の中で読んでおりました。

フォルクスワーゲンの闇 世界制覇の野望が招いた自動車帝国の陥穽

フォルクスワーゲンの闇 世界制覇の野望が招いた自動車帝国の陥穽

 

最後は家族が寝た後にこっそり読んだりしてスピードアップしつつ読了しました。どちらかというと後半は若干どうでもいい感じがあり、スピードアップした部分が大きいです。タイトルにある通り、本書前半の主人公であるフェルディナント・ピエヒに対する興味が大きく、後半のディーゼル排ガス不正に関するフォルクスワーゲンの間違った対応とか、どういう間違い方をしたのかとかについてはそこまで面白くないな、、、と感じたこともあります。
まぁ、この点については本エントリの後半に述べようと思います。

まずは本書の内容ですが、フォルクスワーゲンの成り立ち、フェルディナント・ピエヒの物語、フォルクスワーゲンの膨張とその背景、排ガス不正が見つかる経緯とその結果、の4つから構成されています。

フォルクスワーゲンの成り立ちについては聞いたことがあったものの、ナチス政権下で国民車をつくる目的だったのを始めて書物で確認しました。ただし、戦時中は戦車しか作れず、戦後はフェルディナント・ポルシェ(フェルディナント・ピエヒの祖父)が生み出したビートルによって、北米市場で旋風を巻き起こしたことが語られます。よくナチスが作ったメーカーの車が流行ったなと思いますが、もともとフォルクスワーゲン知名度が低くいわゆるアメ車へのアンチテーゼとして若者にウケた、という説明になってます。
反戦運動など、既成の体制に反発する若者のムーブメントに、必要最低限でポップなビートルがマッチしたというところなのですが、たしかにヒッピーの文化とマッチする車のようにも思います。設計したフェルディナント・ポルシェの思いは国民車としてなのでしょうが、まったく違う文脈で評価されフォルクスワーゲンの発展に寄与したわけですね。

2番目のフェルディナント・ピエヒの物語ですが、これはフェルディナント・ポルシェとともに登場してきます。祖父ポルシェとともにフォルクスワーゲンの工場で過ごし、成長してフォルクスワーゲンのトップにまで上り詰める過程は、冷徹な判断と上昇志向、譲らない頑固さがあります。特に最後の要素が、この手の書物によく書かれている「権力欲にまみれたトップ」とは別のキャラクターを印象づけます。権力欲ではなく、自分の理想とする技術発展、プロダクトを自らの手で実現させるために会社のトップにまで上り詰めた、とでも言わんばかりの人生として描かれている(すくなくとも私はそういう印象を受けた)のが特徴的です。

3番目と4番目は、フォルクスワーゲンの社内風土がどのようなもので、どのような背景をしてジャイアントに成長していき、何が(誰が)彼らを追い詰めたのか、がドキュメンタリーとして語られています。実際に路上走行での窒素酸化物排出量を測定したウエスバージニア大学のチームが結果を論文にし、彼らに協力したカリフォルニア州大気資源局(CARB)がフォルクスワーゲンと問題の除去(彼らはフォルクスワーゲンの悪意を当初は疑っていなかった)と協議し、その中でだんだんと追い詰められていきます。
この手の社会的な問題に対する対応としてはあまり良くないパターン(問題の所在を認めない、倫理ではなく技術の問題だと強弁する、など)を繰り返し、最終的には大きな賠償金を支払うことになります。この点はまだすべて終わったわけではないというのが現状です。

ただし会社としては技術を前へすすめなければ競合と戦うことはできない。この点から考えると、もともとフォルクスワーゲンが拡大し、排ガス不正をすることになった原因としては、長年進めてきた「クリーン・ディーゼル」(クリーン、が嘘だった)という方針をどのように転換するかがポイントで、これは本書の中では語られていなかったものです。
先日の日経では、ヨーロッパ(ドイツ)の当局もディーゼルでの環境改善ではなく、電気自動車へシフトする方向に向かっているようです。(https://www.nikkei.com/article/DGKKZO27789590W8A300C1TJ2000/

フォルクスワーゲンジャイアントにした、クリーンなディーゼルエンジンによる大気改善(もちろん、フォルクスワーゲン自身が推進した側面が多分にあるわけですが)という方向性の転換が最後の牙城であるドイツ国内でも起こっていて、これに対応していくためには会社組織も変わっていく必要があります。
次の主流が電気自動車となった場合、自動車の構造は変わり、もっとも難易度が高いのは電池(安全性、持ち時間)になり、駆動部分については単純にして、制御をソフトウェアで実施するようになるでしょう。これは従来の自動車メーカーがやってきたことの付加価値がこれまでよりも低下し、どちらかというと電池を購入して、駆動装置や人の乗るスペースの設計をし、組み立てるメーカーになってしまいます。
そのために自動車メーカーは機械学習、自動運転、それらを綜合して安全な交通システムの再構築へシフトしようとしています。この動きについていくのか、それとも別の生きる道を探すのか。ただし、「国民車を作る」というもともとのコンセプトからするとやはりシステムの再構築へ向かうしかない、というのが私の現時点での印象です。特徴ある車をつくり、人やモノを運ぶ、以外の価値を提供するには文化が決定的に欠けているように見受けられます。

本書を読み終わり、日経記事を読んでみて感じるのは、「この状況をフェルディナント・ピエヒはどう考えるのか」ということでした。彼はディーゼルエンジンをその当時の背景も踏まえて、チャレンジすべき技術課題と設定しこれを進めることでトップに上り詰めたわけです。トップについてからも技術的な面にこだわりを見せ、それ以外への執着というのがそれほど見えないのですね。
彼がもし今、これから上り詰めようとする若者であれば、おそらくこの機会をとらえて、自動車部品業界のより一層の水平化・効率化、それを背景にした交通システムの再構築をまったく違う分野の企業と強烈なタッグを組んで(あるいは買収して)進めていくのではないか、と思います。それを彼自身に聞いてみたい。
これまでの自分の判断やつくりあげた組織に引きずられて技術的な趨勢を見誤る、のが通常の老人なのだと思いますが、彼はそうではないのではないか。そこに大きな興味があります。

KTCロゴに反応

機械系のエンジニアであれば、どこかでお世話になっている工具。この工具でも一級品といえば、京都機械工具(略称:KTC)の工具です。

最近、自宅で使い始めたマグカップにまさしくこの「KTC」ロゴが刻まれており、「これは一体…」と思っていたところ、妻が在籍している会社のセミナーでお世話になった会社からいくつか購入したものとのこと。見た目もよかったので、2つ譲ってもらったようです。ちなみに見た目は以下のサイトで確認できます。

https://ktc.jp/catalog/index-category/category-list/yg-35w__r

まさしく…、まさしくKTC!
というわけで、早速愛用させていただいてます。工具メーカーが出したものだけあって、手にずしりとくる気持ちの良い重さ、頑健なつくり、マグカップたる機能に絞り込んで余計なことをしないデザイン、すべてが最高の体験でございます。
こういうことですよ。カスタマーエクスペリエンスがどうのこうの言ってる皆さんには、このマグカップで100杯のコーヒーを飲んできてから話せよと。まずはそこからですよ。

そんな感動を覚えつつ、自分がKTCに条件反射のように反応してしまう理由に思いをはせてしまいました。
理由には2つあって、1つは自分が離れてしまった機械工学の現場を思い出させること、もう1つは父が実家の工場で(彼にしては珍しいことに)KTCの工具は大切に使っていたことがあります。

1つ目については、もともと機械工学を専攻していた(高専の機械工学科なので大学まで含めると7年間)ものを、自分から離れて別の分野の大学院(基本文系のバックグラウンド理系の人が多い)に進んだことがあります。もういちど、あの時点で選択をしようとするならばやはり同じ選択をするだろうとも思うのですが、とはいえやはり思うところはあります。あのまま専門を変えずに進んでいたら、自分はどのようなキャリアを歩んでいたのか。おそらく、現在とは違う職業(今はシステムエンジニア)でしょうが、今と同じく専門性を突き詰めるよりもマネジメントをする方へだんだんと舵をきっていたと思います。その場合、41歳の私(今の私からすると「彼」ですね)は現在と違う世界を生きているであろうし、世間的には絶対に彼の方がマジョリティなのです。自分がマジョリティであると自覚しながら、会社で上へ登っていこうとする自分(彼)というのは正直想像がつきませんが、それだけに思いを馳せてしまう。

2つ目については、父の思い出、父がいた家族の思い出と不可分である実家の工場なので、いろいろなことを思い出してしまいます。自分の工場をつくり、毎日そこで仕事をしている姿。仕事は朝早くから夜遅くまでやっていて、日常的に工場で過ごしている感じです。ときどき私が手伝ったり、隣の自宅で洋裁の仕事をしている母に声をかけたりします。工場からの金属音、そして夕方になると少し離れた高校から吹奏楽の全体練習に入る前の音出しが聞こえてきます。学校から帰る子供・高校生が近くの道を歩いていて、そこを風が通り抜ける。風の肌ざわりや、聞こえてくる音、工場近くの油の匂い、それらすべてが一瞬のうちによみがえってくるのですね。
私にとって、KTCのロゴはそういうイメージを喚起するものです。

 

陸王から思いを馳せて早田俊幸へ

昨日、日曜劇場「陸王」が最終回でした。この数年ドラマは全く見れておらず、当然「陸王」も見てなかったのですが、長く昼寝をした息子と一緒に風呂からあがったらちょうどやっていたので最後までみてしまいました。

まぁ、わかりやすくて人への尊敬が感じられる良いドラマかなという印象でした。私はスポーツは何でも見る(機会があればやる)タイプで、陸上の長距離もよく見てました。マラソンはたいてい日曜の午前中にテレビ中継をやっていて、なんとなく見入ってそのままゴールまで見届けてしまう。典型的な暇な人ですね。

自分がよく見ていたのは10代後半で、だいたい90年代です。当時、強かった選手は旭化成谷口浩美(敬称略、以下同)、森下広一などでしたが、当時なんとなく気になって応援していたのが鐘紡の早田俊幸です。

頑健ではない(とくに90年代後半のレースでは、リタイアがときどきあった)けれども、とにかく速い。それが生かされるのが駅伝で、九州一周駅伝(都道府県対抗)なんかで宮崎(当時旭化成が連続日本一で無敵だった)がどうしても区間賞をとれなかったのが、早田俊幸が走る区間でした。

そんな彼がマラソンを走り始め、好記録をだし、すごい選手になると思われてたのですが、リタイアを繰り返してしまいます。そこから所属先を変えたり、練習方法も変えたりしつつ、マラソンで勝つために努力をしてある程度の結果を出しますが、最終的には当初ファンが思い描いていたような舞台に立つまでにはいたらなった、というのが彼の簡単なマラソンにまつわる歴史になるでしょう。

シニカルに見れば、彼の適性は1万メートルにあり、そこで世界を目指し続ける、マラソンはもっと後(ゲブレシラシエのように)、というのが良かったのだろうと思います。事実、ほぼ同世代の高岡寿成はそのように日本最高記録をたたき出したわけです。

しかし、彼は早い時期からマラソンへ転向し、そこに食らいつきながら競技人生を歩んだわけで、決して要領がいい選手ではありませんが、これこそが人生であって陸上ファンに深い感慨を抱かせる、心を震わせる人間という気がします。そりゃ良い成績を残したほうがいいに決まってますが、先を計算せずに走りたいレースを走る、そして苦労するのだけれども、それでもなお走り続けるというのは震えるほどカッコいいものです。

同じような感覚から、かつてクロサキに所属していた田尻裕一にも同じようなカッコよさを感じておりますが、それはまた別の話にしたいと思います。

新幹線大爆破

だんだんと年の瀬が迫ってまいりましたね。

私も11月いっぱいでプロジェクトを去りまして、12月頭から新しいプロジェクトへ参画しました。これはこれで新鮮な気持ちで日々を過ごしております。

さて10月に友人が東京の会社から大阪の会社へ転職いたしまして、12月頭に東京に出張があるということ飲みに行きました。まぁ、なかなか充実した会社生活のようで安心しました。

で、その彼が来るというので、「新幹線に何かなければいいですな」的な会話をしていたときに思い出したのが、映画「新幹線大爆破」です。

新幹線大爆破

新幹線大爆破

 

ちょうどAmazonビデオでプライム会員は無料となっていたので、これ幸いとみることにしました。

 驚いたのはオールスターキャストで作っているということなんですが、昔の大作ってこうだったなぁ、と思わせられる作品ですね。wikipedia先生によると、日本よりも海外で人気があるとのこと、たしかにあんまり聞かないな(これだけキャッチーなタイトルなのに…)とは思いました。

内容はというと、速度が80キロ以下に落ちると爆弾が爆発するという「スピード」と同じやつです。というか、「スピード」がこの設定をバスでパクったわけですね。

スピード (字幕版)

スピード (字幕版)

 

 ただ、犯人や乗客のドラマを描くとか、高倉健演じる犯人のわびしさが残るラストとか、事件の対応にあたる管制官宇津井健の自分に対する失望とか、やはりどことなくやるせなさを挟み込んでくる東映は、スピードと違う魅力があると思いました。まぁ、スピードを好きな人の方が多い気もしますが。

なんか仕事のための本を読んだり、自分の興味ある分野の勉強とか、趣味の本とか、やらなきゃいけないことはありつつ、年末進行であまり通勤電車の中で本を読む気になれない、ぼーっとしたいという感じがあり、最近はずっとAmazonビデオにお世話になりっぱなりです。

うーん、読めないなぁ。。。

自分の血肉になってしまっている本を再読する、という贅沢

今回は久々の読書記録です。いやー、久しぶりですね。
私事で恐縮ですが、今関わっているプロジェクトから足を洗って、新たなプロジェクトに入ることにしました。まぁ、次もローンチしたばかりのサービスを改善していくこと、温めている新規サービスをローンチすること、これらをシステム面からドライブ駆けていくのが役割になります。
で、既存メンバーからのアドバイスとして「Team Geek」を読んでおいてほしい、ということでした。この本の哲学をエンジニアチームとしては思想として取り入れて運営をしているからと。もともと自宅の本棚にありましたので(意訳:買ったけど積読・・・)、早速空いた時間で読んでみましたが、これは素晴らしい本で開発マネージャーやろうと思うと必読やな・・・と思っていましたが、そこに参照があったのが「ピープルウェア」で、いろいろとサイト見て回って関連して読もうと思ったのが「ウェブ時代をゆく」でした。

Team Geek ―Googleのギークたちはいかにしてチームを作るのか

Team Geek ―Googleのギークたちはいかにしてチームを作るのか

 
ピープルウエア 第3版

ピープルウエア 第3版

 
ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

 

ウェブ時代をゆく」か、、、懐かしいなと思いながら、会社近くのTSUTAYAで古本(100円でした、100円て…)を購入しました。昔買ったはずですが、もう家の段ボールから見つけるのは不可能っぽいんで(テキトー)。
確かに昔読んだ内容だな、、、と思いながらペラペラとめくっていた手が止まったのは第4章の「ロールモデル思考法」に行き当たったときで、そこには自分の考えと寸分たがわぬことが書いてあり、且つ、めちゃくちゃ懐かしい肌触りがあったのですね。
そうです。これがタイトルに込めた意味であって、昔読んですごく腑に落ちたことが、そのまま自分の思想の一部となってしまい、久しぶりに読んだら「自分と同じ」と感じてしまう現象が発生してしまったわけです。自分の方がコピーで相手がオリジナルなのに。。。
この第4章では、自分のキャリアの志向性を「シャーロックホームズの冒険」を読んでいるときの「私立探偵の存在の在りよう」に心惹かれていたことを思い出し、そこからコンサルタントを志したこと、特に読書をたくさん実施することでいろいろなロールモデルを収集しつつ、何に心惹かれるかを直観に問い続けることなどが書かれています。この辺り、とりあえず関係ない分野や興味ない分野でも本を手に取るようにしている私自身の行動の起源になっているものです。
シャーロックホームズの冒険が好きだったり、本文で紹介されている今北純一の「孤高の挑戦者たち」の生きざまにあこがれるところなど、そもそも梅田さんの志向と私の志向は似ているところがあって、それで鮮明に覚えている箇所でもありました。
そうそう。昔は「探偵になりたい」と言っていましたですね~、私。懐かしい。でも、今でもあまり変わっていない気がします。
ともあれ、2007年末に出たこの本を当時の私はきちんと消化し、自分の志向性として取り込んでいたようです。自分を形作ってきたいろいろな要素を今(40歳)から振り返って確認していくことは恐ろしくもあり楽しくもあり、刺激的な体験です。これからの自分を作り上げるうえでも、こういう体験は貴重だと思う秋の夕暮れでした。

と、いう感じで終わろうと思ったのですが、蛇足と備忘を少し。
梅田さんはコンサル会社のアーサー・D・リトルという会社に入社し、アメリカ西海岸への赴任を直訴して勝ち取ります。このアメリカ滞在が始まるあたりから、新潮社の政治経済情報誌「フォーサイト」での連載を始めます(たしか)。
これが90年代初頭なのですが、そのころ私は10代後半で専門的な内容が多くなりつつあった学校での勉強に不安が募り「政治とか経済とかをきちんとフォローしないと」という思いからフォーサイトを購読し始めます。もちろん最初は難しく、なかなか咀嚼できない記事も多かったのですが、その中で数少ない楽しみな連載が梅田さんの文章だったのです。この連載は「シリコンバレー精神」にまとめられています。

私自身は、システムエンジニアとして社会人になってからもついつい「コンサルタント」の仕事に興味を持ってしまい、結局はコンサル会社に4年ほど在籍することになりました(今は会社を移り、スタートアップ界隈をうろうろしています)。梅田さんの文章は結構、自分に影響を大きく与えているのだなと、今更ながら(40歳…)感じております。

ちなみに2000年代後半に梅田さんが東京で講演会をやったとき、会場に入ろうとして見たことがある人とすれ違ったので会釈したのですが、いつも写真で見ていた梅田さんだったことを直後に思い出した、ということがあります。完全に知り合いのような感じで目を見て挨拶という感じだったので、梅田さんからは「誰だっけ?」と思われたでしょうが…。
いやー懐かしいなー。

ファースト再視聴

今回のエントリも読書日記ではなく、、、面目ない。

さて、ファーストと言えば、そうです。ファーストガンダムですね。小細工なし。

Amazon プライム会員である私は、Amazonビデオでプライム会員無料のコンテンツをよく見ています。「有田と週刊プロレスと」はもう欠かさず見ていますが、特に昨日(2017/11/08)の回は電車の中で吹きすぎてしまい、周囲から怪訝な目で見られてしまいました。小田急ユーザーの皆さん、笑う門には福来るんですよ!

 さて、有田の猪木モノマネの完成度はさておき(「待て待て待て待て!」)、プライム会員無料コンテンツとしてファーストガンダムがおススメされてきたため、速攻でダウンロードし電車の中で視聴していました。懐かしくていきなり第42話「宇宙要塞 ア・バオア・クー」から見たのですが、いきなり見た割には複雑な背景・人間関係もすぐに思い出してどっぷり観賞モードに突入しました。そのため、電車を乗り過ごす羽目になりましたが・・・。

この話は冒頭、デギン・ザビと、和平交渉をしているレビル両方がソーラ・レイシステムの攻撃によって死んでしまうところから始まります。ギレン・ザビによる策略なのですが、そのときのギレンとキシリアの会話がすごい。(言葉尻は記憶があいまいなのでテキトーです)

キ「グレート・デギン(戦艦の名前)はどこへ行ったのですか?」

ギ「沈んだよ」

キ「父上(注:デギン・ザビのこと)は、グレート・デギンをよく降りられましたね」

ギ「父上が降りると思うか?」

キ「・・・」

ギ「そういうことだ」

というものですが、これでギレン・ザビ父親であるデギン・ザビを殺したことがわかるんですが…、小学生にこれが理解できるのかと。まぁ、この後キシリアがギレンを銃で殺害して「父親殺しの罪は総帥であっても償わなければならない」と言うのでわかるんですが、会話がアダルトすぎるだろうと。

 オープニングとエンディングの歌の場面では、すべてひらがなで歌詞を表示しているアニメとは思えないこの会話。やはりこの辺りにガンダムの面白さが凝縮されているんではないか、と私は思います。単に、私が感じる面白さがこの辺りにあるということかもしれませんね。また、デギンとギレンが同じ回で死んでいることも忘れていたので、終盤の話の流れの速さにびっくりしました。

シャアが「いや、私もニュータイプのはずだ」とつぶやく場面を見てもの悲しさを感じたり、「足なんて飾りです。偉い人にはそれがわからんのです」という有名なセリフの辺りは、大人になって感じ方が変わるであろうシャアとメカニックとの会話が堪能できますね。以下の部分です。

シ「ジオングか。足がないな」

メ「足なんて飾りです。偉い人にはそれがわからんのです

シ「私に操れるかな」

メ「そんなこと私にはわかりませんよ。大佐のニュータイプ能力次第です」

シ「ずいぶん不躾だな」

メ「気休めですが、大佐ならやれますよ」

本音を包み隠さず言う職人気質のメカニックと、出撃前に己をリラックスさせて戦場へ赴くパイロット。
重さは違えども、会社組織でも後ろを固めるバックオフィスと外へ出ていく営業部隊で同じ様な会話はあるのではないでしょうか。この辺りの気持ちが多少わかってくると、やはりディテールからさらなる面白さに出会えるのではないかな、と思うわけです。

しかし、ガンダムは深い。読みかけになっている安彦良和「原点」もこの流れでまた読もうと思いました。

原点 THE ORIGIN

原点 THE ORIGIN

 

 

日本シリーズ終了

だいぶサボってました。
忙しいのがひと段落してゆっくりしてると、「なんか書きたい!」という盛り上がりがなくなるのかもしれないですね~。
そんなわけでそれなりに本は読んでいたもののエントリをあげるに至らずでした。

今回も読書の記録ではなく(読書日記なのに…)、タイトルの通り、プロ野球日本選手権シリーズ2017についてです。
私自身は九州の出身ではありますが、小さい頃からなぜか西武ライオンズのファンでして、85年のシリーズ(小学3年生)は見て悔しがってた記憶はあるので、結構古株です。
今は川崎に住んでいますので、ベイスターズとホークスどちらを応援するのかといううれしい問題に直面しましたが、見ながら福岡を応援していましたね。
黄金時代のライオンズと今のホークスは似ている面が多いので、そちらを自然に応援してしまったみたいです。

第6戦については、10回くらいまでは見たのですが、11回はもう寝てしまったので翌日確認しました(←ダメ人間)。
延長戦に入ったところまで見たわけですが、9回までで言うと、ホークスはヒット3本(で3点)、ベイスターズは7本で3点だったわけで正直押していたのはベイスターズだったように感じました。
9回裏の内川のホームランは、日本最高のバッター(と私は思ってます)は追い込まれても奇跡を起こすんだな、、、とビビりましたが。
10回表は2番の梶谷からロペス、筒香、宮崎と続くので、10回だけ見ればベイスターズに分があるわけで、ここでとれるかどうかで試合は決まるのでは…と思って10回は見ました(そして、その後寝ました)。

ベイスターズの345はセ・リーグでは最も強力、パ・リーグ最強(と私が思う)のライオンズよりも嫌な感じがします。2番から左右がジグザグで、それぞれの持ち味が違う、全員がホームランも打てる(だからこそ9番、1番の出塁が鍵になるわけで)。
7戦までいくとベイスターズが勝つ可能性はかなり高かったと思うし、そもそも第3戦もぎりぎりの戦いだったのを見ると、実力差はない、というのが今シリーズで見えた結果ではないすかねー。

92年、93年のライオンズ対スワローズは、スワローズにとってその後の黄金時代のきっかけとなり、且つ、90年代唯一のセ・リーグ連覇を成し遂げた大きな出来事だったと思いますが、今回のシリーズ敗退がベイスターズに与える力というのはすごく大きいんじゃないでしょうか。
阪神・広島を撃破して、ホークスにも脅威を与えた攻撃力、若いピッチャーがポストシーズンの中で成長を見せて柱に成長してきた今、彼らは日本一を身近に感じながら来シーズンの優勝を見据えているでしょう。率直に来年のセ・リーグは楽しみだなと思います。

ホークスについては、6戦であんなに勝負をかけるとは…、サファテを引っ張る判断はおそらく元ライオンズの森監督は絶対にやらなかったろうな…と思いましたが、6戦で勝つという覚悟を見せて取りに行ったということでしょう。逆に言えば、7戦まで行ったら負けるという危機感があったんだと思いますね。そこをあけっぴろげにした采配だった、というのが工藤という人間の大きさかなとは感じました(ラミレスは「頂上は近い、道は間違ってない」と感じたはずです)。
ただ、打線も投手陣もイマイチだった、というのが私の見た正直な感想です。
こんなザマでは、来年の優勝は危うい。下からの突き上げが必要です。
サファテは来年ここまで活躍できないだろうし、先発もピリッとしてない(ズバリ、武田です)状況で、内川のバットに頼るのは限界がある。中村や松田を7番あたりにおけるようなオーダーが必要で、野手があと2枚くらい足りないな、、、という気がします。
外部から取ってくることもできるチームですが、どちらかというと育成した方が強くなる風土な気がするので、育ってこないかな~と思ってます。
こういうチーム(昔のライオンズを彷彿とさせるチーム)には、ついつい辛口になってしまいますが、来年も期待しております。

いや、来年はライオンズが優勝してくれないかな。。。