陸王から思いを馳せて早田俊幸へ

昨日、日曜劇場「陸王」が最終回でした。この数年ドラマは全く見れておらず、当然「陸王」も見てなかったのですが、長く昼寝をした息子と一緒に風呂からあがったらちょうどやっていたので最後までみてしまいました。

まぁ、わかりやすくて人への尊敬が感じられる良いドラマかなという印象でした。私はスポーツは何でも見る(機会があればやる)タイプで、陸上の長距離もよく見てました。マラソンはたいてい日曜の午前中にテレビ中継をやっていて、なんとなく見入ってそのままゴールまで見届けてしまう。典型的な暇な人ですね。

自分がよく見ていたのは10代後半で、だいたい90年代です。当時、強かった選手は旭化成谷口浩美(敬称略、以下同)、森下広一などでしたが、当時なんとなく気になって応援していたのが鐘紡の早田俊幸です。

頑健ではない(とくに90年代後半のレースでは、リタイアがときどきあった)けれども、とにかく速い。それが生かされるのが駅伝で、九州一周駅伝(都道府県対抗)なんかで宮崎(当時旭化成が連続日本一で無敵だった)がどうしても区間賞をとれなかったのが、早田俊幸が走る区間でした。

そんな彼がマラソンを走り始め、好記録をだし、すごい選手になると思われてたのですが、リタイアを繰り返してしまいます。そこから所属先を変えたり、練習方法も変えたりしつつ、マラソンで勝つために努力をしてある程度の結果を出しますが、最終的には当初ファンが思い描いていたような舞台に立つまでにはいたらなった、というのが彼の簡単なマラソンにまつわる歴史になるでしょう。

シニカルに見れば、彼の適性は1万メートルにあり、そこで世界を目指し続ける、マラソンはもっと後(ゲブレシラシエのように)、というのが良かったのだろうと思います。事実、ほぼ同世代の高岡寿成はそのように日本最高記録をたたき出したわけです。

しかし、彼は早い時期からマラソンへ転向し、そこに食らいつきながら競技人生を歩んだわけで、決して要領がいい選手ではありませんが、これこそが人生であって陸上ファンに深い感慨を抱かせる、心を震わせる人間という気がします。そりゃ良い成績を残したほうがいいに決まってますが、先を計算せずに走りたいレースを走る、そして苦労するのだけれども、それでもなお走り続けるというのは震えるほどカッコいいものです。

同じような感覚から、かつてクロサキに所属していた田尻裕一にも同じようなカッコよさを感じておりますが、それはまた別の話にしたいと思います。