感動する、ということ。
2回前からですます調に変わってしまってますが、こっちの方が書きやすいのでこちらで行きます。ええ、すみませんでした。
twitterで見かけたつぶやきがまとまってました。
私もいいねしてRTしてました。ごく単純で愚かしい正直さってのが私は大好きなんですね。泣いてしまいそうになるわけです。
で、これはおそらく父とか地元の親戚とか、まぁそういう人たちと近くて、私はそういう人たちに親近感がすごくあるんですね。
だいぶ評価が高く、kindle版が出て、私もようやく「よっこらせ」と購入して読みだした「ヒルビリー・エレジー」もまぁそんな感じなんだと思いますね。まだ「はじめに」の途中までしか読んでないけど。
ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち
- 作者: J.D.ヴァンス,関根光宏,山田文
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2017/03/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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友人(都会育ち)がとあるイギリス映画をほめて「英国流の皮肉が効いていてスタイリッシュでいい」みたいな感想を漏らした時も、自分でも驚くほど強く「オレはそういうのはダメだ。嫌いだ、たぶん」と観てないのに言ってしまってました。
どうもね、私の感動するポイントというのは、家族・親戚・生まれ育った地域の人々のある側面を映し出したもの、にあるような気がします。それが自分の生きる理由に近接していて、そこに触れているのだろうなと思います。
そうすると、「感動する」ということは、やはり自分の存在意義に触れて自分を揺さぶるもの、自分に生きる理由を再確認させてくれるもの、ということなんでしょう。
当たり前ですが、当たり前のことを日々気づかせてくれて、心が回復する、そういうのが日々を生きる我々が感動しなければいけない理由なのかなと考えました。
冒頭のサイゼリヤでの話、こういうのが本当に「美しい」ということなんだと思いますね。ええ、いろいろdisってます。いろいろなものを。