ファースト再視聴

今回のエントリも読書日記ではなく、、、面目ない。

さて、ファーストと言えば、そうです。ファーストガンダムですね。小細工なし。

Amazon プライム会員である私は、Amazonビデオでプライム会員無料のコンテンツをよく見ています。「有田と週刊プロレスと」はもう欠かさず見ていますが、特に昨日(2017/11/08)の回は電車の中で吹きすぎてしまい、周囲から怪訝な目で見られてしまいました。小田急ユーザーの皆さん、笑う門には福来るんですよ!

 さて、有田の猪木モノマネの完成度はさておき(「待て待て待て待て!」)、プライム会員無料コンテンツとしてファーストガンダムがおススメされてきたため、速攻でダウンロードし電車の中で視聴していました。懐かしくていきなり第42話「宇宙要塞 ア・バオア・クー」から見たのですが、いきなり見た割には複雑な背景・人間関係もすぐに思い出してどっぷり観賞モードに突入しました。そのため、電車を乗り過ごす羽目になりましたが・・・。

この話は冒頭、デギン・ザビと、和平交渉をしているレビル両方がソーラ・レイシステムの攻撃によって死んでしまうところから始まります。ギレン・ザビによる策略なのですが、そのときのギレンとキシリアの会話がすごい。(言葉尻は記憶があいまいなのでテキトーです)

キ「グレート・デギン(戦艦の名前)はどこへ行ったのですか?」

ギ「沈んだよ」

キ「父上(注:デギン・ザビのこと)は、グレート・デギンをよく降りられましたね」

ギ「父上が降りると思うか?」

キ「・・・」

ギ「そういうことだ」

というものですが、これでギレン・ザビ父親であるデギン・ザビを殺したことがわかるんですが…、小学生にこれが理解できるのかと。まぁ、この後キシリアがギレンを銃で殺害して「父親殺しの罪は総帥であっても償わなければならない」と言うのでわかるんですが、会話がアダルトすぎるだろうと。

 オープニングとエンディングの歌の場面では、すべてひらがなで歌詞を表示しているアニメとは思えないこの会話。やはりこの辺りにガンダムの面白さが凝縮されているんではないか、と私は思います。単に、私が感じる面白さがこの辺りにあるということかもしれませんね。また、デギンとギレンが同じ回で死んでいることも忘れていたので、終盤の話の流れの速さにびっくりしました。

シャアが「いや、私もニュータイプのはずだ」とつぶやく場面を見てもの悲しさを感じたり、「足なんて飾りです。偉い人にはそれがわからんのです」という有名なセリフの辺りは、大人になって感じ方が変わるであろうシャアとメカニックとの会話が堪能できますね。以下の部分です。

シ「ジオングか。足がないな」

メ「足なんて飾りです。偉い人にはそれがわからんのです

シ「私に操れるかな」

メ「そんなこと私にはわかりませんよ。大佐のニュータイプ能力次第です」

シ「ずいぶん不躾だな」

メ「気休めですが、大佐ならやれますよ」

本音を包み隠さず言う職人気質のメカニックと、出撃前に己をリラックスさせて戦場へ赴くパイロット。
重さは違えども、会社組織でも後ろを固めるバックオフィスと外へ出ていく営業部隊で同じ様な会話はあるのではないでしょうか。この辺りの気持ちが多少わかってくると、やはりディテールからさらなる面白さに出会えるのではないかな、と思うわけです。

しかし、ガンダムは深い。読みかけになっている安彦良和「原点」もこの流れでまた読もうと思いました。

原点 THE ORIGIN

原点 THE ORIGIN

 

 

日本シリーズ終了

だいぶサボってました。
忙しいのがひと段落してゆっくりしてると、「なんか書きたい!」という盛り上がりがなくなるのかもしれないですね~。
そんなわけでそれなりに本は読んでいたもののエントリをあげるに至らずでした。

今回も読書の記録ではなく(読書日記なのに…)、タイトルの通り、プロ野球日本選手権シリーズ2017についてです。
私自身は九州の出身ではありますが、小さい頃からなぜか西武ライオンズのファンでして、85年のシリーズ(小学3年生)は見て悔しがってた記憶はあるので、結構古株です。
今は川崎に住んでいますので、ベイスターズとホークスどちらを応援するのかといううれしい問題に直面しましたが、見ながら福岡を応援していましたね。
黄金時代のライオンズと今のホークスは似ている面が多いので、そちらを自然に応援してしまったみたいです。

第6戦については、10回くらいまでは見たのですが、11回はもう寝てしまったので翌日確認しました(←ダメ人間)。
延長戦に入ったところまで見たわけですが、9回までで言うと、ホークスはヒット3本(で3点)、ベイスターズは7本で3点だったわけで正直押していたのはベイスターズだったように感じました。
9回裏の内川のホームランは、日本最高のバッター(と私は思ってます)は追い込まれても奇跡を起こすんだな、、、とビビりましたが。
10回表は2番の梶谷からロペス、筒香、宮崎と続くので、10回だけ見ればベイスターズに分があるわけで、ここでとれるかどうかで試合は決まるのでは…と思って10回は見ました(そして、その後寝ました)。

ベイスターズの345はセ・リーグでは最も強力、パ・リーグ最強(と私が思う)のライオンズよりも嫌な感じがします。2番から左右がジグザグで、それぞれの持ち味が違う、全員がホームランも打てる(だからこそ9番、1番の出塁が鍵になるわけで)。
7戦までいくとベイスターズが勝つ可能性はかなり高かったと思うし、そもそも第3戦もぎりぎりの戦いだったのを見ると、実力差はない、というのが今シリーズで見えた結果ではないすかねー。

92年、93年のライオンズ対スワローズは、スワローズにとってその後の黄金時代のきっかけとなり、且つ、90年代唯一のセ・リーグ連覇を成し遂げた大きな出来事だったと思いますが、今回のシリーズ敗退がベイスターズに与える力というのはすごく大きいんじゃないでしょうか。
阪神・広島を撃破して、ホークスにも脅威を与えた攻撃力、若いピッチャーがポストシーズンの中で成長を見せて柱に成長してきた今、彼らは日本一を身近に感じながら来シーズンの優勝を見据えているでしょう。率直に来年のセ・リーグは楽しみだなと思います。

ホークスについては、6戦であんなに勝負をかけるとは…、サファテを引っ張る判断はおそらく元ライオンズの森監督は絶対にやらなかったろうな…と思いましたが、6戦で勝つという覚悟を見せて取りに行ったということでしょう。逆に言えば、7戦まで行ったら負けるという危機感があったんだと思いますね。そこをあけっぴろげにした采配だった、というのが工藤という人間の大きさかなとは感じました(ラミレスは「頂上は近い、道は間違ってない」と感じたはずです)。
ただ、打線も投手陣もイマイチだった、というのが私の見た正直な感想です。
こんなザマでは、来年の優勝は危うい。下からの突き上げが必要です。
サファテは来年ここまで活躍できないだろうし、先発もピリッとしてない(ズバリ、武田です)状況で、内川のバットに頼るのは限界がある。中村や松田を7番あたりにおけるようなオーダーが必要で、野手があと2枚くらい足りないな、、、という気がします。
外部から取ってくることもできるチームですが、どちらかというと育成した方が強くなる風土な気がするので、育ってこないかな~と思ってます。
こういうチーム(昔のライオンズを彷彿とさせるチーム)には、ついつい辛口になってしまいますが、来年も期待しております。

いや、来年はライオンズが優勝してくれないかな。。。

夏の終わりに

高校野球も終わり、8月最終週となれば、朝晩も涼しくなってきます。夏の終わりを感じるここ数日、夏に読みたくなる本と言えばなんだろう?と自問自答しておりました。

やっぱ汗と砂にまみれる感触が圧倒的な安部公房の「砂の女」かな?瑞々しい子供時代をやさしい目線で描く椰月美智子「しずかな日々」かな?

砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

 
しずかな日々 (講談社文庫)

しずかな日々 (講談社文庫)

 

 なんて考えてました。特に「しずかな日々」はメチャクチャ良いので、これでいいかとも思ったのですが、なんとなくもっと夏という感じが詰まっていて、その中で人間の想いが吐き出されていき虚無感が立ち上る、みたいな若さとそれゆえの苦みを感じさせる「夏の本」ってなかったかな・・・と思ってました。

 で、つい最近、「おまえだったか・・・」と感じさせる本を思い出しました。灯台下暗しと申しましょうか、本棚の隅の方にくたびれた姿でずっと存在していたその本がこちらです。

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 

 出た!と岡田さんのように反応してしまう感じですね。村上春樹風の歌を聴け」です。言わずとしれた村上春樹デビュー作です。

夏の終わりと言ったときに、そこに感じるやるせなさや侘しさ、それからそれらが生み出す空虚さと対照的な熱気、湿気などが重要な要素になるのですが、その辺りを内包している小説というとコレですね。

コレですね、と言っておきながら全くノーマークで、本棚の隅にあって視界にチラチラ入っていたのにも関わらず思いつかなかったのです。やはり村上春樹の初期3部作の一つという印象が強すぎて、内容をじっくり思い出せてなかった面はあります。初期3部作については特によく読んだし、今も時折読み返すことがあります。ファンもアンチも多いですが、まぁそうですよね。やっぱり素晴らしいですから。

読んでいない方は一応教養として読んでいただければと思いますが、だいたいのあらすじとしては、、、状況して大学に入った僕が、地元で仲の良かった友人・鼠から手紙を受け取り、どこかへ旅に出てしまった彼にかわって、彼の付き合っていた女性に別れを告げに行く、という話です、というかだったと思います(うろ覚え)。

こうやってあらすじ書いてしまうと、あんまりどこで夏の終わりを感じるのかわかりませんが、これはもう読んでいただくしかない。良いです。

今思うと、夏の終わり、というか、少年時代のおわりというのを描いている話なのかもしれません。ま、それは何かの始まりなんですが、何を始めるかは多分に自分の意思に依っている。でもそれを選び取るには勇気が必要だし、そういうところを避けて年齢だけを重ねてしまっている人間は多い。

この小説に登場する人物をどう読むかは人によりますが、私からすると「僕」も「鼠」もその他の登場人物すべてが不器用で、そのために何を始めるかに戸惑い、それを避けて通るような器用さがないために、いろいろと失敗しながら自分の道を選び取っていく様子を描いているのかなと思います。この辺りは、どんな物語であっても、この年代を描けばそうなってしまうものでしょう。それでもその苦みは描く人によって違うもので、それぞれ読みたいと思うのですね。

3部作はこの後、「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」と続くわけですが、残り2作はどちらかというと冬の印象があります。そちらは冬になると読みたくなる小説なので、このブログを続けていればそのあたりで書きたいですね。

1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)

 
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

 
羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)

羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)

 

 

父と子の物語(4、情熱を貫く)

父と子の物語と銘打ってシリーズを書いてきたものの、予想外に時間がかかってしまったり、シリーズ内でも直前に取り上げる本を変えたりしてしまい、どうしようか迷ってるのですが、これはライフワークとしてやっていこうかなんて若干思い始めています。なかなか感じることが多いこのテーマ、涙腺の弱い私としては取り上げたくなる本が多いのです。。。

で、今回は元日本代表によるこの本です。

情熱を貫く 亡き父との、不屈のサッカー人生
 

 この本、2014年のワールドカップ前に新宿のブックファーストで立ち読みしたのです。そのときに涙が止まらなくなり、これはマズいと購入して帰りました。著者自身のサッカーへ向かう姿勢、父親との約束、魂を揺さぶるプレー、それらは父を持つ息子たる私を震わすものです。また、息子を持つ父としても、何を息子にしてやれるのかという大きな命題をもらった気がします。

とまぁ、ここまで書いてきてお察しいただける通り、この本こそがこのシリーズを書こうと思った理由なのです。読了後に、心の中のいろんなものが洗い流されて、そこに新しいエネルギーがどくどくと流れ込むような、まさに心をチャージするような感覚になりました。

大久保嘉人という選手については、サッカーにあまり詳しくない人には「ちょっとヤンチャそうな人」みたいなイメージでしょうか。サッカーにそこそこ詳しい人もその印象をベースに「よくカードをもらう」「川崎で得点能力を開花させたが基本はスピードを活かしたアタッカー」みたいなイメージでしょう。で、それは当たってると思います。

付け加えるなら、非常に素直でもあるし、情熱をもってサッカーに向きあい、チームに貢献できる選手だということですね。特に、情熱をもって取り組むが故の衝突や、情熱を使い果たしたときのメンタル的な落ち込みを経験して、人間的な成長を遂げた選手だというのが彼の特徴です。

特に2010年のワールドカップではこの傾向が強いです。この大会、直前まで中村俊輔を中心としたボールを持ってプレーをするチーム方針でしたが、本大会ではある程度ボールを持たず守備を固めた状態から、スピードあるアタッカーが「攻め切る」戦略に変更になりました。直前までは大久保は半レギュラー的な位置づけでしたが、本大会ではレギュラーとして主に前線の左に張ったポジションで出ていました。右の松井大輔と左の大久保は攻めにかける人数が少ない中、テクニックと運藤量で攻めるスペース・時間を作り出す重要な役割を果たしていました。

この大会、試合はすべて見ましたが、前半から激しく動き回り、後半途中にはガス欠になってしまうレベルで、見ていて頼もしかったですね。

惜しくもベスト16で終わった本大会後、彼はオーバートレーニング症候群となり、奥さまの実家である離島で療養します。復帰してもなかなか結果は出ずに、川崎へと移籍するのですが、この間の苦しさがこの本からはよく読み取れます。情熱を使い果たした人間がどのようにその状態を脱して復活できるものなのか。

彼は苦しい中、もがき、決断し、熱意ある指導者と出会い、父の言葉に打たれて、再び日本代表を目指します。

本の最後に、父への手紙(彼自身の肉筆!)が載っています。内容もさることながら、字がきれいなんですね。これをいつでも見れるというだけで本買う理由になります。

自分が父に抱いている想い、息子に何をしてやれるのかという問い、それらについて何かしら感じていたり悩んでいたりする人(私です)にとって、とても、とても強く背中を押してくれる本だと思います。

生きるために必要な本

これまでの人生で写真集というのは数えるほどしか買ったことがありません。数少ないうちの一冊が、これです。

地を這うように―長倉洋海全写真1980‐95 (フォト・ミュゼ)

地を這うように―長倉洋海全写真1980‐95 (フォト・ミュゼ)

 

 20歳になろうとしている私は、この本の新聞広告を見て学校の帰りに買いに行った記憶があります。5000円近くするものですし、写真集なんて買ったことなかったわけで、家族にも「なにかあるの?」と聞かれた記憶があります。でも、特になにかしら理由があったわけではなく、広告を見て「これは見なければ」と強く思っただけでした。

私は高等専門学校の5年生で、大学へ編入しようと思いつつもなかなか勉強に身が入らず、部活動も最後の大会が目の前なのになにか没入しきれない、という状況でした。今、考えると判断して決断しなければいけなかったところ、そこまでの危機感というか、流れに任せるというか、煮詰まってなかったんでしょうね。ただ、何かやらなきゃという焦りみたいなものはあったわけで、なにか自分の中に確固としたものがない、というモヤモヤしたものはあった気がします。

それは、今考えると勇気だったと思います。そして、それこそが大人と子供を分ける唯一の要素だと私は考えています。ともあれ、自分がこの世界で立ち続けるためのなにかを求めて、私はこの写真集を買ったのだと今になってみると思います。

購入した写真集を見ながら衝撃を受けたことは当然なんですが、どういうことを思って、何を考えたのかはあまり覚えていないのが正直なところです。たぶん、圧倒されて呆然としながら写真を見ていたのではないかなと思います。当時購入した写真集は現在も実家にありますが、ヨレヨレになっているので繰りかえし見ていたのにも関わらずこの体たらく。作者の長倉洋海氏に申し訳ないな・・・とも思います。

ただ、その後の私は、人生に対して決断が下せるようになったと思います。大学へ進むにあたり、自分が求めていることを考え、素朴なあこがれとかを切り捨てつつ前へ進むことができたし、あきらめることも含めて決断することができました。困難な道と、ある程度先が見えて平坦な道があったとして、前者を選ぶこともできるようになりました。これは社会人になった今でも、私を形作る大切な流儀だと思います。

この写真集のどこかにそんな力があったのか、それとも私が大人になる時期になにかしらのきっかけになってくれたのか、もう詳しいところはわかりません(自分ではなおさらわからないのかもしれません)。しかし、20歳当時の、なにもかも中途半端で、でもなにかしら自分のモヤモヤした空虚さを埋めるものを求めていた私に、生きる覚悟を与えてくれた写真集だったのだなと。

また、長倉氏と言えば、アフガニスタンの英雄マスードに密着し著した書籍や写真集ですが、マスード亡き後も紛争地帯での写真を撮り続けています。久しぶりに写真集を買ってみようか。。。以下の2つとか。

 

長倉洋海写真集 Hiromi Nagakura

長倉洋海写真集 Hiromi Nagakura

 

 

地を駆ける

地を駆ける

 

 

批判の作法では届かないもの

前回からかなり時間を空けてしまいましたが、いや、なんでしょう。IT業界のゲス代表たる伊藤直也さんの事件などがありまして、ああ、エンジニアでもああいうクズって一定数いるのね~などと思い、同世代のエンジニアとしては若干テンション下がったりしました。

ただ伊藤直也さんのwikipediaを眺めていて、修士論文題目が「物理学科サブネットワークの現状と学科内 LAN 再編成への提言」(伊藤直也 - Wikipedia)とあるわけですね。修士(物理学)として、この内容で学位がとれるというのは如何なものか、なんて思ったりしました。私の母校は工業大学なのですが、工学の修士号はかなりきちんとその分野の研究・論文でなければ学位は出ないのです。私はちょっと文系よりの専攻だったのですが、学位は「修士(学術)」でした。

学生の当時は「その拘りがムカつく」とか思ってたのですが、今、冷静に振り返るとやはりそれは学生に対する教育品質として必要不可欠なものだと思うのですね。青学の先生には拘りがないのかと、それでいいのかと。ここで叫んでおきましょう。

さて、今回の表題は見ての通りですが、簡単に言うと批判する際のお作法としてはある種の正しさ(というかある公理系に依拠することで導出される正しさ、とでも申しましょうか)を根拠にして、相手の文脈なり論理展開を読み解きモデル化し、「だから間違ってる、くだらない」と言うわけですね。大体。

で、この作法はありがちですが、決してくだらないものではない。むしろ、こういうことを自由に言っていき、より好ましい意見が出てくる場が形成されるわけです。これは非常に重要なことです。声を大にして言いたい。これも叫んでおきましょう。

しかし、そのようにして何等かの系に依拠した正しさで測る言説というのは、この世の中のむしろ少数派でしょう。そうではないもの、身体に記憶しているある種のなつかしさや風景みたいなものをなんとか掬い上げ、表現している言説が多いんではないでしょうか。

と、ここまでなかなかに長い前置き(冒頭は関係ないですが)を置いて、今回挙げる本はこれです。

大田舎・東京 都バスから見つけた日本

大田舎・東京 都バスから見つけた日本

 

 バスです。バスガス爆発(不吉)。

おそらく作者に対する印象なのでしょうね。amazonのレビューは二分されています。評価低い人の意見は「これが学者の仕事か」「こんな無神経な人の本は・・・」とか。評価高い人の意見も特に説得力があるわけではありません。例えば「興味がつきない」「自由研究のようで面白い」という感じ。

まぁ、こんなもんですよね。最終的には人格否定に行くのが世の常とは言え、本読んで理解できないのであれば評価を書くなと言いたい。これも叫んでおきましょう。

私はこれ読んでみまして、古市先生のぶらりバスの旅を堪能していたわけですが、大半はただのコラムで雑誌の隙間を埋めるものと言えましょう(これはただの好みで批判じゃないですねー)。

しかし、kindleで読んでるから何ページかはわからないですが「東陽町駅前-若洲キャンプ場前 新木場に残る20世紀の思い出」と題された小文には心動かされた、と言いますか、心にさざ波が立ったと言いますか、自分の記憶の深く懐かしい部分に触った気がしました。

冒頭はこのような文章から始まります。「原風景というものがある。子供の頃に訪れた場所。なぜかいつも夢で見てしまう景色。なぜか忘れられない光景。僕にとってのその一つは東京湾岸にある。」(前掲書、kindle上 No.814/3252 より引用)。いやー、先生、こんな感傷に訴える文章を書いてしまうなんてスゴい。いい意味で驚きです。

おかげで自分にとって夢で見てしまう、懐かしい、記憶に刻み込まれた風景というのをぼーっと思い返してしまいました。古市先生の原風景というのは、整備されていない、人口物で構成された殺風景でありつつ、魚釣りをしたり、周りにいないタイプの老人がいたりする湾岸の風景らしい。

私は九州の生まれで、最初に東京に来たのは大学の編入学試験(夏)でした。羽田からモノレールに乗り、京浜東北線大井町まで行くと、そこにあるホテルに泊まって試験を受けに行きました。大井町線沿いにある大学でしたので。

それを3年くらいやったので、私の東京の原風景というのは、モノレールから見る埠頭、運河沿いのオフィスビルやマンション、倉庫街、浜松町の古くて巨大なビル、そして大井町の雑多で狭い飲食街です。今でもときどき大井町に行くと、あのときの不安と路地裏の居心地の良さに懐かしさを覚えます。

で、この本に話を戻すと、読む人自身のそういう普段は思い出さないけれども、ときどき不意に表出する原風景みたいなものに思いを馳せるという本なんですね、たぶん。そういう本には論理を媒介にした批判の作法などは合わないなぁ、、、とamazonの書評を見ながら思い至りました。

というか、古市先生の言説というのは、結構な割合で、論理的に批判できるようなものではないのかもしれませんね。そういう姿勢に対して好き嫌いがあるとは思うのですが、僕は割と好きですねぇ。

父と子の物語(3、路地の子)

上原善広の新刊が出たとのこと、HONZの仲野徹さんの書評(http://honz.jp/articles/-/44135)を読んで知ったのですが、個人的には、上原さんの本としては、静かでなにか温かみのある感覚を覚えました。

そして、仲野さんの「絶対にあとがきから読んではいけない本」という忠告をありがたく受取り、前から順に読んでいきました。私は結構あとがきから読んでしまうので、これは今から思えば非常にありがたがったです。

本の内容についても、仲野さんの書評を読んでいただくのがわかりやすいです。ので、ここは「父と子の物語」という観点から感じたポイントを思うままに書いてみます。

路地の子

路地の子

 

 仲野さんも書かれている通り、上原さん自身の父に対する思いというのはあとがきに書いてあります。この部分はこの本の根幹、このあとがきを書くためにこの本は書かれた、いやむしろ、このあとがきに至るために作家としてものを書いてきたのではないかというほどの内容になっています。

なので、そこには触れませんが、冒頭に書いたように上原さんの他の本に比べて、「静かで温かみがある」と感じました。書かれている上原龍造さん(著者の父)の生きざまはなかなか激しいものです。それなのに、文章から静けさを感じられるのは、なにか愛情というか照れというかが奥底にあるということなのかなと。

途中、龍造さんについて「自分勝手で他の人間を非難するが、同じことをしている自分の影響へ思い至ることはない」ということに何度か言及します。この感覚、私は非常によくわかるというか、自分の父に対して思っていたことそのままです。私自身も「ああいう人間にはならない」と思って、その当時(10代)は思っていました。

今から考えるとその後、私は父親のある部分を非常に色濃く受けついで生きていて「ああいう人間になってる」のですね。この辺の自覚は上原さんと全く同じものです。私の場合は、4年前に父が死んでから特に、この側面を強く意識するようになってます。そして自分がかくありたいと思う人間として、自分の父を想定するようになってきました。もちろんすべての面でというわけではありませんが、人に対する基本的な愛情の熱量がある、自分勝手ではあるけれど自分の原則があって曲げない、他の分野の人の言葉は素直に聞く耳を持つ、、、その辺りです。

、、、今、列挙してみて驚いたのは、上原さんがあげた龍造さんの長所とかなりダブっているんですね。私の父は団塊の世代よりほんの少し下なのですが、人となりが良く似ています。あんなに短気で暴力的ではなく、どちらかというと職人肌の頑固者ですけど。

ま、こう思うのは、私の父がすでに死んでいるからかもしれません。生きている間は、そうはいってもやはり喧嘩して、遠ざけてしまうことも多かったです。上原さんも龍造さんが亡くなると、またちょっと変わってくるのかなとも思いますね。

私自身は子供が2人いて、下の子が男の子なのですが、彼に何を伝えられるのか、若干不安なところはあります。上原さんも私もそうですが、父親が現場で働く姿を見ている。それは記憶に刻み込まれていて、自分にとっては今でも強さを感じさせる大人というとその姿なんですね。

私の子どもが見る、私の働いている姿というのは、ラップトップを膝の上において、うーんうーんと悩みながらタイプしているところでしょう。きっと働いている私を見ることはあまりないのだろうなと思います。あんまり父の背中を見せることはできないな、会議しているところを見ればちょっと違、、わないかな。

でも、彼は彼なりに何かを感じて成長していくのでしょう。私は私ができる精いっぱいをやり続けていくしかない。きっとそれでいいんだろうなと思うのです。