KTCロゴに反応

機械系のエンジニアであれば、どこかでお世話になっている工具。この工具でも一級品といえば、京都機械工具(略称:KTC)の工具です。

最近、自宅で使い始めたマグカップにまさしくこの「KTC」ロゴが刻まれており、「これは一体…」と思っていたところ、妻が在籍している会社のセミナーでお世話になった会社からいくつか購入したものとのこと。見た目もよかったので、2つ譲ってもらったようです。ちなみに見た目は以下のサイトで確認できます。

https://ktc.jp/catalog/index-category/category-list/yg-35w__r

まさしく…、まさしくKTC!
というわけで、早速愛用させていただいてます。工具メーカーが出したものだけあって、手にずしりとくる気持ちの良い重さ、頑健なつくり、マグカップたる機能に絞り込んで余計なことをしないデザイン、すべてが最高の体験でございます。
こういうことですよ。カスタマーエクスペリエンスがどうのこうの言ってる皆さんには、このマグカップで100杯のコーヒーを飲んできてから話せよと。まずはそこからですよ。

そんな感動を覚えつつ、自分がKTCに条件反射のように反応してしまう理由に思いをはせてしまいました。
理由には2つあって、1つは自分が離れてしまった機械工学の現場を思い出させること、もう1つは父が実家の工場で(彼にしては珍しいことに)KTCの工具は大切に使っていたことがあります。

1つ目については、もともと機械工学を専攻していた(高専の機械工学科なので大学まで含めると7年間)ものを、自分から離れて別の分野の大学院(基本文系のバックグラウンド理系の人が多い)に進んだことがあります。もういちど、あの時点で選択をしようとするならばやはり同じ選択をするだろうとも思うのですが、とはいえやはり思うところはあります。あのまま専門を変えずに進んでいたら、自分はどのようなキャリアを歩んでいたのか。おそらく、現在とは違う職業(今はシステムエンジニア)でしょうが、今と同じく専門性を突き詰めるよりもマネジメントをする方へだんだんと舵をきっていたと思います。その場合、41歳の私(今の私からすると「彼」ですね)は現在と違う世界を生きているであろうし、世間的には絶対に彼の方がマジョリティなのです。自分がマジョリティであると自覚しながら、会社で上へ登っていこうとする自分(彼)というのは正直想像がつきませんが、それだけに思いを馳せてしまう。

2つ目については、父の思い出、父がいた家族の思い出と不可分である実家の工場なので、いろいろなことを思い出してしまいます。自分の工場をつくり、毎日そこで仕事をしている姿。仕事は朝早くから夜遅くまでやっていて、日常的に工場で過ごしている感じです。ときどき私が手伝ったり、隣の自宅で洋裁の仕事をしている母に声をかけたりします。工場からの金属音、そして夕方になると少し離れた高校から吹奏楽の全体練習に入る前の音出しが聞こえてきます。学校から帰る子供・高校生が近くの道を歩いていて、そこを風が通り抜ける。風の肌ざわりや、聞こえてくる音、工場近くの油の匂い、それらすべてが一瞬のうちによみがえってくるのですね。
私にとって、KTCのロゴはそういうイメージを喚起するものです。