批判の作法では届かないもの

前回からかなり時間を空けてしまいましたが、いや、なんでしょう。IT業界のゲス代表たる伊藤直也さんの事件などがありまして、ああ、エンジニアでもああいうクズって一定数いるのね~などと思い、同世代のエンジニアとしては若干テンション下がったりしました。

ただ伊藤直也さんのwikipediaを眺めていて、修士論文題目が「物理学科サブネットワークの現状と学科内 LAN 再編成への提言」(伊藤直也 - Wikipedia)とあるわけですね。修士(物理学)として、この内容で学位がとれるというのは如何なものか、なんて思ったりしました。私の母校は工業大学なのですが、工学の修士号はかなりきちんとその分野の研究・論文でなければ学位は出ないのです。私はちょっと文系よりの専攻だったのですが、学位は「修士(学術)」でした。

学生の当時は「その拘りがムカつく」とか思ってたのですが、今、冷静に振り返るとやはりそれは学生に対する教育品質として必要不可欠なものだと思うのですね。青学の先生には拘りがないのかと、それでいいのかと。ここで叫んでおきましょう。

さて、今回の表題は見ての通りですが、簡単に言うと批判する際のお作法としてはある種の正しさ(というかある公理系に依拠することで導出される正しさ、とでも申しましょうか)を根拠にして、相手の文脈なり論理展開を読み解きモデル化し、「だから間違ってる、くだらない」と言うわけですね。大体。

で、この作法はありがちですが、決してくだらないものではない。むしろ、こういうことを自由に言っていき、より好ましい意見が出てくる場が形成されるわけです。これは非常に重要なことです。声を大にして言いたい。これも叫んでおきましょう。

しかし、そのようにして何等かの系に依拠した正しさで測る言説というのは、この世の中のむしろ少数派でしょう。そうではないもの、身体に記憶しているある種のなつかしさや風景みたいなものをなんとか掬い上げ、表現している言説が多いんではないでしょうか。

と、ここまでなかなかに長い前置き(冒頭は関係ないですが)を置いて、今回挙げる本はこれです。

大田舎・東京 都バスから見つけた日本

大田舎・東京 都バスから見つけた日本

 

 バスです。バスガス爆発(不吉)。

おそらく作者に対する印象なのでしょうね。amazonのレビューは二分されています。評価低い人の意見は「これが学者の仕事か」「こんな無神経な人の本は・・・」とか。評価高い人の意見も特に説得力があるわけではありません。例えば「興味がつきない」「自由研究のようで面白い」という感じ。

まぁ、こんなもんですよね。最終的には人格否定に行くのが世の常とは言え、本読んで理解できないのであれば評価を書くなと言いたい。これも叫んでおきましょう。

私はこれ読んでみまして、古市先生のぶらりバスの旅を堪能していたわけですが、大半はただのコラムで雑誌の隙間を埋めるものと言えましょう(これはただの好みで批判じゃないですねー)。

しかし、kindleで読んでるから何ページかはわからないですが「東陽町駅前-若洲キャンプ場前 新木場に残る20世紀の思い出」と題された小文には心動かされた、と言いますか、心にさざ波が立ったと言いますか、自分の記憶の深く懐かしい部分に触った気がしました。

冒頭はこのような文章から始まります。「原風景というものがある。子供の頃に訪れた場所。なぜかいつも夢で見てしまう景色。なぜか忘れられない光景。僕にとってのその一つは東京湾岸にある。」(前掲書、kindle上 No.814/3252 より引用)。いやー、先生、こんな感傷に訴える文章を書いてしまうなんてスゴい。いい意味で驚きです。

おかげで自分にとって夢で見てしまう、懐かしい、記憶に刻み込まれた風景というのをぼーっと思い返してしまいました。古市先生の原風景というのは、整備されていない、人口物で構成された殺風景でありつつ、魚釣りをしたり、周りにいないタイプの老人がいたりする湾岸の風景らしい。

私は九州の生まれで、最初に東京に来たのは大学の編入学試験(夏)でした。羽田からモノレールに乗り、京浜東北線大井町まで行くと、そこにあるホテルに泊まって試験を受けに行きました。大井町線沿いにある大学でしたので。

それを3年くらいやったので、私の東京の原風景というのは、モノレールから見る埠頭、運河沿いのオフィスビルやマンション、倉庫街、浜松町の古くて巨大なビル、そして大井町の雑多で狭い飲食街です。今でもときどき大井町に行くと、あのときの不安と路地裏の居心地の良さに懐かしさを覚えます。

で、この本に話を戻すと、読む人自身のそういう普段は思い出さないけれども、ときどき不意に表出する原風景みたいなものに思いを馳せるという本なんですね、たぶん。そういう本には論理を媒介にした批判の作法などは合わないなぁ、、、とamazonの書評を見ながら思い至りました。

というか、古市先生の言説というのは、結構な割合で、論理的に批判できるようなものではないのかもしれませんね。そういう姿勢に対して好き嫌いがあるとは思うのですが、僕は割と好きですねぇ。