疲れてゆっくりしたいんですよ。

最近、仕事そこまで大変ではないのですが、ダレてきたんですかね。もう表題のとおりで疲れて何も考えたくない。父と子の物語シリーズも中休みでそんな本読んでも疲れてしまうんじゃ~、という状況です。

そこで、なんか疲れてもやもやして何も考えたくないときに、読む本を(自分自身の備忘のため・・・)メモ。

聖なる怠け者の冒険 (朝日文庫)

聖なる怠け者の冒険 (朝日文庫)

 

 森見登美彦「聖なる怠け者の冒険」でございます。物語る著者の声がふんだんに出てくるこの小説、森見登美彦のいつもの柔らかく濃密で、深い意味はない(と思わせる)設定と物語、読者をリラックスさせつつ夢中にさせる素晴らしい小説です。

なんかあんまり褒めてないようにも聞こえますが、私はここ数日のなにか追い立てられているような感覚から抜け出し、気持ちをリフレッシュすることができました。いやーぼかぁ幸せだな~。

内容的には、京都で活躍する正義の味方ぽんぽこ仮面と、ぽんぽこ仮面にしつこく跡継ぎを迫られる小和田君、それに彼を取り巻く先輩社員や探偵などが、ある宵山の土曜日一日に繰り広げる大冒険、みたいな話です。ただし、悪い人は一人も出てこないのがこの著者の話の特徴なんですかね。普通に見たら悪い役割の登場人物も魅力的で憎めない、これは著者が影響を受けている江戸川乱歩の作風と似ているような気がします。あれも別に悪い人出てこないもんなー、あんまり。あーでも「何者」とかの犯人は、ちょっと悪い奴だったりした記憶があるな。

この著者ならではの堂々たる至言があちこちに散らばっているのも、ポイント高いですね~。例えば「迷うべきときに迷えるのは才能」とか、「役に立とうなんて思い上がりです」だとか。後者については、この文庫本に著者直筆(!)のメッセージとしてカードがついていました(Kindleではなく、文庫本を買った理由の一つでもあります)。

あと、この本はもともと新聞小説で(だから朝日文庫なんですな~)、新聞小説→単行本→文庫本という変遷をたどっているわけですが、それぞれのタイミングで大幅な加筆修正がされているらしく、最初と最後では結構違っているようなことが著者あとがきに書いてあります。

とくに違いをおっかけるようなやる気もないのですが(疲れてゆっくりしたいわけですし)、新聞小説連載時に挿絵を描いておられたイラストレーターの方が、この小説の画集を出しているようです。

聖なる怠け者の冒険【挿絵集】

聖なる怠け者の冒険【挿絵集】

 

これは買いですね。

この挿絵はめちゃくちゃ小説にフィットしている、、、いやむしろ逆で、この挿絵が小説を先導しているといっても過言ではないです。著者あとがきでも、話が全然決まっていない段階で挿絵を描いてもらい、そのキャラクターのイメージから内容ができてきた側面もあるようです。

Kindle版載せちゃったけど単行本もありますから、是非とも単行本をゲッツしたいですね。

そんなわけでゆっくりできました。ぼかぁ幸せだなぁ~。

父と子の物語(2、血と暴力の国)

父と子の物語シリーズ、その2ではコーマック・マッカーシー「血と暴力の国」でございます。

血と暴力の国 (扶桑社ミステリー)

血と暴力の国 (扶桑社ミステリー)

 

原題は「No country for old men」で、映画版も同じタイトルですね。日本語版は若干省略されて「ノーカントリー」になってましたが。。。 

ノーカントリー スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]

ノーカントリー スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]

 

 内容的には、クスリの取引でどっかのマフィアが争いのなったところを遠くから見てた男性が金を持ち逃げして、殺し屋に追われるというお話し。この殺し屋を追う保安官がトミー・リー・ジョーンズでどちらかというとわき役なんですが、なかなかいいキャラクターで終章は彼の独白で終わります。で、ここに父と子の物語がある。そこ以外には特に親子の話ってないのですが、何かしら血は水よりも濃いところを感じさせる小説ではあります。

で、父と子の話としては、読んでいただくしかないのですが、映画でもほぼそのままの独白があるので、こちらも味があっていいなと思っています。かいつまんだ内容としては、「夢の中で父親が出てきて、一緒に山を登っている。父親は先に行っているのだが、山の途中で待っていてくれる。それがわかるんだ」という話です。まーこれだけじゃわからないので、実際に本を読んでもらう必要がありますが、私としてはじわっとくる話でした。

もともとコーエン兄弟の映画はよく見る方です。好きな映画はファーゴです。ノーカントリーもその文脈で映画を見て、原作を読んで、どちらもかなり好きな部類に入るので繰り返し見たり読んだりしてます。コーエン兄弟というと、コミカルな悪夢をスタイリッシュに描くって感じのイメージが一般的なんでしょうか。私にとってはどちらかというと、結構、真正面から自分の無意識を直撃する映画というイメージです。なので、夢なんだけど超リアルというもの、なので映画そのものなのですね。

そんなコーエン兄弟の映画で、父と子の話が出てきて、それが自分の父親と自分の関係を思うときの重要なイメージになる。これは自分にとってはすごくうれしいことだし、自分の拠り所である父親像にもつながっているような気がします。

誰かとの話で「男にとって父親というのはヒーローである」というテーゼを主張したことがあります。話相手は「自分は違う」と否定していましたが…。その辺りの信念を型づくった物語のひとつですね。

そんなわけでおススメです。ちなみにマッカーシーのこの後の作品が「ザ・ロード」でこちらが「父と子」の話としては王道です。なぜこちらを紹介しないのかといえば、未読だからです(ドーン)。言い訳をすると、私は4年前に父が死んでからどうも父と息子系の話に涙腺が弱いので、時間を置きながらそれ系の小説を読んでいるんですね~(涙)。心の底から読みたいと思っています。マッカーシーは現代のアメリカ文学界ではやっぱり外れがないので。

それでは、まだシリーズを続けます。次は何にしようか。。。

父と息子の物語(1、戸村飯店青春100連発)

最近なんだか書くことがないんだか、時間がないんだか、余裕がないんだかで書けておりませんでした。はてなから「そろそろブログ書きませんか」みたいなリマインダーも来たことだし、ここらで何か書いてみようかと。

家では洗濯業務を仰せつかっている私ですが、花粉症でもあるため、春は外に洗濯ものを干さず、もっぱら室内干しとなっております。2階のいろいろとモノを置いている部屋(将来は子供部屋)で干してるのですが、そこには本棚もあったりして、洗濯ものを干し終わると本を読みふけったりします。

特に会社でいろいろとすったもんだで大変な時ほど、そういうことに心の安らぎを求めがちですねー。

そこで、久々に手に取った本がありまして、以前読んだときとはまた違ったところにドはまりしましたので、ちょっと書いてみようかと思い立ちました。

読んだ本はこれです。 

戸村飯店 青春100連発 (文春文庫)

戸村飯店 青春100連発 (文春文庫)

 

簡単にあらすじを追うと、大阪の戸村飯店には一つ違いの兄と弟がおり、兄は要領がいいが店にはなじんでいない。弟は不器用で愛されキャラで店になじんでいる、勝手に自分が店を継ぐという気概を持っている。兄は高校を卒業して家を出て東京に行き、特に興味のない専門学校へ入る。弟は高校生活を満喫するが、店を継ぐことを父親(戸村飯店店主)から反対され、しぶしぶ大学へ進む。

という話を、兄と弟の目線で進めていくもの。で、これがなぜ父と息子の話なのかというと、数年前までの自分でさえあまりそうは思わなかったのですが、話のポイントで出てくる父と子の関係が今の自分にはすごく染みるのですね。特にラスト辺りで出てくる兄と父の関係性には、ハッとさせられるものがあります。自分の父のことを思い出すこともあり、やはり父親というのは大きな存在なのだと考えさせられました。

 

私自身については子どもは2人、上は女の子、下は男の子です。下の男の子は、自分が父を見ていたのと同じように、私を見て育つのだとこれまでよりも痛切に感じた次第です。

しかし、この父、兄、弟という男同士の話を、女性である瀬尾さんが書かれたというのはやはりすごい。柔らかい文体ではあるのですが、なんつー共感力かと驚きです。

また、兄が終章近くである決断をするのですが、その気づきと衝動を与えるのがウルフルズの歌であって、兄はこれを「これは大阪の人間が作った歌だ」と感じ、どうしようもなく家に戻りたくなるわけです。この辺りの描写が素晴らしい。ウルフルズの歌というのは、どうしようもなく家族を今すぐ大切にしたい、どうしようもなく自分の帰る場所を明らかにしてしまう、そういう力があると思います。私自身は九州の出身ですが、やはりそういうことを感じますね。

これが北の方なら、別の歌になるんでしょうね~、その場合は何だろう。

まぁ、つらつらと書いてみましたが、父というのは子どもを生れた時から見守っている。その行為ってやっぱすごく大きいもので、子どもに対する深い洞察をもたらすものなのです。これは自分についてもそう思います。自分とは違う、わからない存在としての子どもという面もあるのですが、部分的にであっても最大の理解者であり、彼を守る人間として存在しているのだなと、走り回る2歳2か月の子どもを見ながら考えたりする今日この頃です。

 ちなみにこのテーマはあと2回ほど書いてみようと思います。次は別の本をネタに書きます。

感動する、ということ。

2回前からですます調に変わってしまってますが、こっちの方が書きやすいのでこちらで行きます。ええ、すみませんでした。

twitterで見かけたつぶやきがまとまってました。

togetter.com

私もいいねしてRTしてました。ごく単純で愚かしい正直さってのが私は大好きなんですね。泣いてしまいそうになるわけです。

で、これはおそらく父とか地元の親戚とか、まぁそういう人たちと近くて、私はそういう人たちに親近感がすごくあるんですね。

だいぶ評価が高く、kindle版が出て、私もようやく「よっこらせ」と購入して読みだした「ヒルビリー・エレジー」もまぁそんな感じなんだと思いますね。まだ「はじめに」の途中までしか読んでないけど。

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

 

 友人(都会育ち)がとあるイギリス映画をほめて「英国流の皮肉が効いていてスタイリッシュでいい」みたいな感想を漏らした時も、自分でも驚くほど強く「オレはそういうのはダメだ。嫌いだ、たぶん」と観てないのに言ってしまってました。

どうもね、私の感動するポイントというのは、家族・親戚・生まれ育った地域の人々のある側面を映し出したもの、にあるような気がします。それが自分の生きる理由に近接していて、そこに触れているのだろうなと思います。

そうすると、「感動する」ということは、やはり自分の存在意義に触れて自分を揺さぶるもの、自分に生きる理由を再確認させてくれるもの、ということなんでしょう。

当たり前ですが、当たり前のことを日々気づかせてくれて、心が回復する、そういうのが日々を生きる我々が感動しなければいけない理由なのかなと考えました。

 

冒頭のサイゼリヤでの話、こういうのが本当に「美しい」ということなんだと思いますね。ええ、いろいろdisってます。いろいろなものを。

起業の際の必読書

スタートアップに参画する際には、この本を必ず読む必要があると断言いたします。

「ビジネス・クリエーション!」です。これは本当です。

ビジネス・クリエーション!

ビジネス・クリエーション!

 

 今、スタートアップでサービス開発・運用に勤しむ毎日なのですが、ビジネスを始める前にこの本を読んでおけば・・・、いや、今からでもやり直したいと願ってしまう、そんな起業を成功させるステップについて書かれています。

これがもう首がダメになっちゃうくらいに激しく頷いてしまうほど、素晴らしい。とくに失敗した皆さまには激しく刺さること請け合いです。いや、まだ失敗してないけど、私は電車の中で読んで、3駅乗り過ごす(しかも席空いてるのに気づかず立ち尽くしていた)という感じでした。

いや、もう打ちのめされましたね。なぜ、こんな良書を誰も読んでいないんだと(自分は棚にあげてます)。

ただ、ここに書かれていることは、実際にスタートアップに参画した経験がないと刺さらないんじゃないかとも思うんですよね。24のステップを読んでも「ふんふん、まぁ普通だよね」みたいな感じで。

でもそれはただの想像力不足です。断言します。わからないお前が悪い。

この本に書かれていることは、ものすごく重要でものすごく参考になります。その重要性がわからない場合、自分の想像力とコミットメントが足りないと自覚してください。

そして、スタートアップ経験者でこの本の重要性が嫌っちゅー程わかっている人たちは、この本の有用性を声高に訴えましょう。私は訴えます(このブログで・・・)。そうやっていろんな人の目端にひっかかるようにして、スタートアップ始めるときには「とりあえずこの本読まないとなんだよねー」とスタンダードになることを祈っています。

今、なんとなしにサーフィンしてるあなた、とりあえずkindleで拾い読みして、スタートアップをやりそうな友人にこの本を紹介しなさいよ!(ちびまる子ちゃんの前田さん風に)。

 

いやーでも、失敗のただなかで読むと刺さりすぎて痛いです。刺さる前に読んでおきたい、そして「あの本、今、必要じゃない?」と思いついたらすぐさま読みましょう。

ITは本当に世界をより良くするのか…神林節を楽しむ。

「ITは本当に世界をより良くするのか?IT屋全力反省会」を読みました、というか再読しました。

ITは本当に世界をより良くするのか? IT屋全力反省会

ITは本当に世界をより良くするのか? IT屋全力反省会

 

 神林さん、定番の面白さですね。受け手の井上さんはJava系の勉強会だったか、スピーカーをしていらしたのを聞いたことがありますが、そのときの冷静な印象そのままですね。神林さんのもろもろの考えを受け止めつつ、別方向を提示する役割を実直に遂行しています。エライなぁ。

内容については、バズワードだったり、クラウドベンダーだったり、「エンタープライズ(エンプラ)」と俗に呼ばれる企業内情報システムの構築・運用・保守を担うエンジニアだったりのことをしゃべり続けています。止まりませんね、海南戦の流川です。Unstoppable。

細かな内容については読んでいただくとして(Enterprise Zeneサイトで連載しているものをそのまま本にしているので、そちらでは会員登録すれば無料ですね)、読後感について、書いてみようと思います。

私自身はいわゆるシステムエンジニアです。これまでのキャリアの前半はベンダーサイドのエンジニアでお客さまのために企業内システムを構築する、ということをやっていました。後半はユーザーサイドの情報システム部でベンダーさんにいろいろと依頼しながらプロジェクトマネジメントを行い、システム導入・保守を行うことをやってきました。一瞬コンサルタントをやったりもしていて、ユーザーサイド(発注者側)に行って仕事をしてみようと考えて、現在もユーザーサイドで仕事をしています。

このキャリア自体は神林さんと逆方向の移動をしているのですが、ただ両方を経験していることもあり、多く共感するのは神林さんのご意見でした。ま、井上さんも明らかに本来は神林さん側の意見だけど議論のために反論側に回っていることもありますので、そこ考えると著者2人と同じ方向性であると言ってよいと思います。

そもそもエンジニアですから、そりゃ当然という感じですが。

内容的には全部グサグサ刺さっているのですが、今の仕事の関係上、会社の方向性として「クラウドを用いてシステムを運用している」「いろんな制約を取っ払うために、内製化したいと考えている」というところがありまして、その辺りを何度も熟読してしまいました。

私自身は前職で、内製化へ動き、定番の失敗パターンをなぞりました。とても難しいですね。結局、神林さんの言う通り人材の流動性が確保できていないことで、人を取るのも難しいし、社内でのキャリアパスも見えない。リスクがエンジニア自身に降りかかってしまうのを避けるような仕組みが必要ですね。ITが事業のコア(Amazonだけでなく、ウォルマートも小売りの皮をかぶったIT企業か)であれば、それは問題ないのでしょうが、そこまで振り切った日本企業ってあんまりないわけで。

一方でクラウド化については本格的に取り組んでいる会社は多いですし、人数の少ない小規模なSIerが大規模ブラック案件に巻き込まれずに生きていくなら、クラウド基盤を利用して(ときには)システム運用まで含めたサービス提供ってのはありなのかなと。よく考えると神林さんの会社(ノーチラステクノロジーズ)はその辺りに該当するような気はします。

ただし、こういうSIerというのは資産が本当に人だけなので、そこは大変だろうな、、、とは思います。コンサルティングファームと同じような状況になるわけですね。

 

まぁ、年に一度は神林節を聞かないとなんかモヤッとする私としては、本で常に読める(kindle版買いました)というのは良いです。デブサミのパネルディスカッションも見ましたが、不完全燃焼感ありましたね。誰が悪いわけでもなく、以前した話をなぞることになってしまって、「本に書いてありますけど…」という枕詞とともに意見を述べるのは井上さん、神林さんともやりにくさはあったのでしょう。小野さんはワークスと並んで日本のソフトウェアカンパニーとして成功している会社の人なわけで、そこに神林さんからの集中砲火を浴びせると面白かったんだろうなと思いました。モデレータというより、井上さん・神林さんのサンドバックになるのがよかったんでしょうな~。

次回を楽しみにしたいですね。

 

IT業界以外の人にも、読んでいただきたい(理解できないと思うけど、そこは勉強してほしい)と思っております。

いや、この本ホント面白いですよ。

ポール・オースターの手触り

読書日記、と銘打っているにも関わらず本が読めていない…。

仕事に対して、それほど長時間のコミットをしているわけではないのだが、いろいろと会社内部の動向を見つつ、興味・勉強しておきたい分野や書籍をリスト化して少しずつ取り組んでいる。

そんなことやってるとがっつり1冊とか読むような感じにはならず、本を楽しみながら1冊読むというのは、なんと贅沢なことなのだろうと感じる。こういう状況になると現実逃避で小説が読みたい。なんか学生がテスト前にマンガ読みたくなるようなものであるけども…。

そういう状況で、私にとってのもっとも贅沢な読書体験であるポール・オースターの小説について書いてみようと思う。その中でも最初に出会った小説「幽霊たち」である。

これを読んだのは、20歳で実家でぶらぶらしていた時期である。何にもやっていなくて、毎日近くのツタヤの本売り場で長時間ぶらぶらしていた。そこで聞いたことがない作家であったオースターの薄い文庫本を買ってみた。1997年の初夏だったと思う。

読み始めは洒落ていて実験的な小説なのかな、という感覚だったのだが、読み進めるうちに引き込まれていき、最終的には「これは「私」の物語なんじゃないか」と感じるようになった。自分が感じている焦燥感、劣等感、虚無感を繊細に描いている。下品ではなく、そこを正視しているわけでもないのだが、そこに「ある」私の一部だと感じた。

オースターの初期の小説は、それほど長いものではない。ひとつのテーマ、ひとつのシーンを描き出すために小説が存在しているような感覚だと思う。その在り方について、当時も今も私には好ましい。忙しかったり、疲れていたり、「なんか小説が読みたい」と思ったときに帰る場所である。

薄くて、ひんやり冷たい新潮文庫は、私の気分が落ち着く手触りであって、今もよく助けられている。

 

というわけで、まだ不毛地帯を遅々としたペースで読んでおります。あれを読み進めるためにこのブログ始めたようなものなのに…。あれだけは読破しよう。読みだすとすごく進むんですが…。