山崎豊子「不毛地帯」読み始め
妻の祖父が昨年秋に死去した。
葬儀を終えて、いろいろと話を聞いていくうちに、陸軍士官学校を卒業して満州へ行き、シベリア抑留を経て、ビジネスマンとして過ごした人とのことだった。
7年前に結婚の挨拶に行って以来、年に1回くらいは会っていたけれども、詳しいことは聞いたことがなかったので、驚きがあった。いろいろと聞いてみたいことはあったが、やはりというか、戦時中・抑留中のことはほとんど家族にも話していないとのことなので、推しはかるしかない。
そういう状況なので、手始めとして、「不毛地帯」を読んでみることにした。
旧版だと全4巻で、今、2巻に入ったところで、1巻は軍人であった主人公が抑留中に経験したこと、ビジネスの世界に飛び込むまでの経緯、その中で軍用機に携わることに決意を持つあたりまでの話が書かれている。
なんといってもシベリア抑留の話の迫力が圧巻で、たとえ刑務所に服役している罪人であってもこのような扱いが許されるのか…、しかも主人公壱岐は戦争犯罪であって、それはソ連内部の法律に則ることが正当とは思えない。そういう中にあって、壱岐を支えているのが、抑留されたごく初期に上官から言われた言葉であったことは印象深かった。憧れみたいなものが少しある。
モデルは伊藤忠商事にいた瀬島龍三氏と言われていて(山崎氏自身は「複数の人物をモデルにしている」と言っている)、瀬島氏についてはロッキード事件でも黒幕として語られているように、どのような考えて物事に影響を及ぼしたのかがいまいちよくわからない人物でもある。戦前からある国体としての「日本」「天皇」を大切にしているのか、それとも私利を追及しているのか(私利が一点目と同一であることも考えられるが…)、それとも会社の利益追求だったのか。単純明解な話ではないにせよ、大まかにはどれかを核にもっていて価値判断を行っていたのだと思う。
小説を1巻まで読む限り、これは列挙した中の最初のものだ。
当然、家族・仲間や、会社、防衛庁にいるかつての仲間などにとって有利な方向に影響力を及ぼすのだが、最終的には「この国のため」という目的に向かうことが、戦死したかつての仲間のため、家族・日本のためとなる、という考えに基づいている。
おそらく、義理の祖父もそのような価値観のもとで生きていたのだろうな、という気がしている。これから残り3巻を読み進めていくなかでその部分に変化が出てくるのか、楽しみな部分でもある。
まぁ、ここまで書いておいてこれまで見てきたドラマを思い出してみると(私は昭和51年生まれで、80年代ドラマから記憶にある)、大なり小なり戦争(太平洋戦争)の記憶がベースにあったような気がする。それは戦争と全く関係ないテーマであってもそうだったような気がする。最近のドラマは一回りしてドラマの方が戦争の記憶を求めていっている感じがある。
そういうのが世論のバランス感覚なのだろう。